コロナ

コロナで何もかもが休みになっている。6月の佐久での一人芝居も7月あるいは9月になりそうだ。さてコロナ。へたなことを言うとぶったたかれそうだ。

私は67なので。高齢者。罹るとどうやら死んじまうらしい。で、今の日本の雰囲気は、いや世界の雰囲気は、死んだら大変だ。で大騒ぎになってるわけだ。

人類が全滅の危機なら焦るが、年寄が死んで、少し掃除ができたという程度。まあ、私は掃除される側ですがね。ちょっと思うのですが、人は死ぬことより、もっと守らなければならないこともあるんじゃないか。なんて思ったりするのです。死んだほうがマシってこともあるわけだからね。で、今の騒ぎ、まだ続きそうだ。で、終わってなにかが変わっているかと言えば、何も変わらないのだろう。皆大挙して旅行に行き、外国に行き、夜は飲み明かし、テレビはお笑いがますます増え、演劇や映画、芸術も深刻なのはもうたくさんと軽いノリが大流行になり、消費は活性化し、東京オリンピックで大騒ぎ。外国人もたくさんやってきて、今の政権は大安泰。となるのが、まあ、良かったなということなんだろうね。

そうでない場合。大不況ががやってきて、演劇だの芸術だのと言ってる場合ではなくなるわけで、まあ、どっちにしても我々のような仕事はしんどくなるに決まっているわけです。

というか、もともとしんどいのが顕著になったと言うだけかもしれない。今更コロナだから何か考えなければ、なんて言ってるのは普段何も考えてないってことで。コロナもクソもないわけだ。明日、コロナがさっぱりなくなって、明日から心が急に変わって今までの消費する生活を見直して、なんて誰も思わないはずで、今日の続きの明日なんですねこれが。

まあ、今回のことでグローバル。世界は一つ。なんてことが証明されたわけで、そこに歯止めなんかかからないはずです。ヨーロッパのどこかで誰かがくしゃみをしたら、何日もかからずに日本人がくしゃみをしているわけですね。

で、私の生活は殆ど変わりません。三宿の神社で稽古をし、戯曲を書いたりしているわけです。牧野富太郎の物語は快調で、後2ヶ月で脱稿できそうです。植物学者の物語は今の時代にふさわしい気がします。植物を考えるのは現在のウイルスの問題にも通底します。コロナを考えながら牧野富太郎と対峙しています。

さて、近日中に「べっかんこ鬼」神社版を上演するために、現在準備中。どうぞお楽しみに。

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