近頃、年のせいか、幸福って、 などと少女のようなことを考えたりする。つい先日、 世間は休日の日。妻や子供は朝からどこかに出掛けた。 三軒茶屋周辺は大道芸イベントで賑わっている。私は家でぼんやりと、やらなければならないことも手につかず。かといってどこかに出掛ける気も起きず、 キッチンでただぼんやりとしていた。ビートルズを聞いて、 呆けたように座っていると、ピンポーンとチャイムが鳴って、 隣のおばさんが玄関に顔を出した。「イモ煮すぎちゃったから、 皆で食べてよ」 とタッパーにいっぱいの里芋の煮つけを持ってきた。「どうも・・ 」と言って受け取って。ぼんやりの続きをしていたが、 なんとなく幸せな気分がふつふつとこみあげてくる。
タッパーのイモの煮つけはびっくりするようなうまいものでもない けれど、なんとはなしに口に入れてもごもごやっていると、 脳が幸せだなあ・・と言っている。隣のおばさんは、 芝居など観ないし、どちらか言えば口うるさい。 家にいることの多い私は、けっこう顔を合わせるので、 たわいのない話をする。そして時々、おかずを差し入れてくれる。 なんだか一人になっちまったなあ・・などと、 ぼんやり頭がつぶやいていたが、 隣のおばさんが顔を出してくれて、一人でもなかったかと、 ほっとしたのかもしれないが、まあ、幸せなんてのは、 こういうところに転がっているのだと、 イモをもぐもぐほうばりながら思うのだ。銭湯に行って、 ちょっと知ってるおっさんが、ちょっとこっち向いて、 目で挨拶する。私も、ちょっと笑ったりする、 なんて時が幸福と想う瞬間だ。などと書くと、 なんだかちょっと病気なんじゃないだろか、 などと心配されそうだが、案外幸福感などというものは、 そんなささいな一瞬なのかもしれないね。 小さな関係が目の前を通り過ぎる時、 もしかしたらちょっと気分は癒されるのかもしれない。
夏からコツコツ書いていた、銭湯の物語が本になって出版される。 東京の面白い銭湯を取材したものだが、 ちょっとした物語にもなっています。読めば幸福になれるという貴重な本、なんてこともないが、 日本語と英語の両方で書かれているので、 英語の勉強にもなるという、なかなか便利な本です。 数十年連載していたストリッパーの取材記事も、 まとまりそうな気配。ということで、 近頃家での仕事が続いています。
で、合い間に、ぼんやりと、頭がヒートして、幸福とはなにか、 などと少女のように瞳もつぶらになってしまうわけです。まあ、 身体資本の仕事が向いているのに、 頭の芯のどこかのひだひだを使っていると、どうにもこうにも、 なんだかむなしくもなったりするわけです。「 潤二郎さんとの白い一日」キャスト決まって。来週写真撮って。 いろいろスタートします。私、1時間出ずっぱり、 せりふなしという。初の試み。お楽しみに。 話題の作品になりますよ。
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