高校演劇

長野県の上田で高校演劇の審査をやった。二日で1時間の芝居を11本観て講評するのだが、結構ハードだ。

一本一本新鮮に観たが、なにかが足りなく感じた。今の高校生達が今、この社会でなにを考え、感じているのかそのことの意識が希薄なのだ。

別に政治的なことを言う必要もないのだが、もの足りない。環境の問題でもいいし、エネルギーの問題だっていい。現在日本、世界が抱えている問題は山ほどある。

演劇は社会に異をとなえることも一つの大きな要素でもあると思っている。現在、演劇の世界はほとんどがエンターティメントに流れている。蜷川幸雄さんのスペクタルは私が演劇を始めた頃、心があった。よく蜷川さんに言われた「お前らが普段なに考えてるのか、それが演技に反映するんだ。しっかりものを考えていない奴の演技なんて薄っぺらな紙屑だ」。言った蜷川さんの仕事はしだいに磨耗し形骸化していった。形だけ残ったといっていい。形を作ることがプロの仕事のように思われているが、魂のないものは残らない。ある作家は残らないものを作る。帰りの電車に乗るときには忘れるようなものを作る。それが娯楽というものだと言った。それは一つの決意表明だ。エンターティメントとはそういうものだ。

けれど高校生の演劇にそこを目指して欲しくないのだ。誰かの心の琴線に触れるような作品を目指してもらいたいと思ったりした。

結果的に社会性のある骨太な作品が選ばれて、少しほっとした。

翌日上田犀の角で「べっかんこおに」担当の先生や高校生も来てくれた。

さて、自分を振り返って、なにかがぶれているのではないだろうかと考えたりする。今小説を書いているが、戯曲も書こうと思っている。強者の論理が大手を振って、あからさまな今の時代に小さな楔を打とうと考えて、書き始めた。貧しても、鈍してはいけないのだ。高校演劇を見ながら自分を考えたりした。しっかり考えなければならないのは俺なのだと。

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