クロウマン・鈴森義彦の冒険

去年6月頃から書いていた小説「クロウマン・・」が完成した。第一項というところですが。こつこつ書いてきたのでけっこう嬉しいものです。しゃべるカラスと豚顔の中年男と高校生の女の子の交流を描いたものです。
覚醒剤の話も出てきたり、今の日本の断片も書いたのですが、もしかしたら恋愛小説なのかもしれません。
荒唐無稽になったのですが、息子は荒唐無稽くらいじゃないと面白くないよねなどと言っております。これができたので次に向かえるというか、1964年の東京オリンピック周辺の物語を書こうと思っているのです。
1952年生まれの私は東京にいて、オリンピック当時12歳多感な年齢です。12歳でオリンピックという人は時々会います。水谷豊が同じ年で、オリンピックのとき12歳と言っておりました。
その時代と中小企業工場をやっていた我が家の隆盛と解散なんてことを中心にコメディー風に書こうなどと思っているのですよ。
クロウマン、本になるかどうかは、まあ、これからと言うところですが。私なりには満足しているところもあるのです。途中で諦めなかった、というか持続できたのがなにより自分で自分を褒めたいなと・・・
2月に新潟で「べっかんこおに」を演じます。夏に行った猿供養寺というところなんですが、将来はそこで演劇祭をやってみたい、などと野望を持つわけです。だって、演劇のことを考えて人生を過ごしてきた人間ですから、今演劇以外のことはなかなかできまへん。演劇はアカデミックになりすぎると言うようなところがあって、で、もっと当たり前にと考えると、今度は当たり前すぎると言うか、まあ、子供だまし、子供でも騙せないよというようなのができちゃう。
地方都市で演劇祭などを模索するとそこのところが難しいのですよ。アマチュアとプロの差ってなんだろうと考える。一日のうち 2時間しか稽古ができない。昼間は仕事をしている。それはアマチュアかというとそういうことでもないのですね。何を一番に持ってきているのか。そこが差なのだと思いますね。例えば芝居は余暇、つまり自分の楽しみ。自転車に乗ったり、山に登ったり、まあなんでもいいんですが、それと同じように考える。これがアマチュアで芝居を生活の中心として考えているのはプロなのです。この差というのが地方都市などで演劇を作るときの大きな、なんというのかなあ、壁と言うのも言い方が違うんだけど。アマチュアだって楽器もできる芝居もできるそういう人がたくさんいます。でも生活の中心とは思っていない。そんな風に思うのは気狂い沙汰ですが。そういう気狂い沙汰なのがプロなんですね。気狂いを見る楽しみが演劇だとすると、そんな気が狂っていると、東京ならまぎれてわからないにしても、田舎に行くとやや目立つ。というわけで心いろいろ乱れるのですが、私もそろそろ老年。演劇に違ったアプローチをと考えて果敢に攻めようなどと夢想しているのです。1月ももうお仕舞い。春なんてあっという間で夏がきちゃうんですよね。
小説も5本ほどはネタがあるので書き続けようと考えているところです。

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