勤めるというようなこと

私はほとんど勤めたことがないかといえば、実は少しある。33歳くらいから35歳くらいの二年間くらい、小さな出版社で営業の仕事をした。
朝はタイムカードも押した。結局木山事務所というところから、芝居に出る依頼があって、うまくごまかし、タイムカードを押して営業の仕事のふりをして、外に出て稽古場に行って稽古をしているのがばれて、やめることになったが、そこの社長が理解があって、その後もずいぶんと世話になった。というわけで、勤めるということが本当には理解できないでいるのかもしれない。
その昔、生活保護を受けようと役所に行ったことがある。理由を聞かれ、稽古が忙しいのでアルバイトその他働く暇がないと主張したら、そういうことは通らないのだとこんこんと説教されたことがあった。ところが今でもそういう気分で、経済に困窮したらなんとか支援をなどと心のどこかで思ったりする。芸術などというものは、金になどなるわけもないのだ。と開き直っているわけでもないのだが・・。で、わが劇団は文化庁などから少しはお金をいただいたりしていたのだが、ここのところ、なかなかそれも難しい。経済優先のこの国で、観客動員の少ない小劇場には、やっぱりなかなか、厳しいのである。で、勤められるかと言えば、これはなかなか難儀なのである。自分で考えることが基本の私たちの仕事。世間は自分で考えてばかりいるとあぶれてしまう。
選挙という映画を撮った想田監督と話す機会があった。彼もアメリカでドキュメンタリーを撮っていたが、リストラされたらしい。聞けば、自分の考えでと撮ると没になる。結果わかったのは、自分の金で撮っていないからという、当たり前の考えに気が付く。そこで、自分の考えで撮っているのが「選挙」であり「牡蛎工場」だったりする。ナレーションも音楽も入らないドキュメンタリーは自分で考えなければならない。ここは、感動してくださいなどといった押し付けはない。
勤める、どこかに所属するというのはどういうことなのだろう。それはたぶん、こう考えてくださいというような地図の上を歩くことなのかもしれないとも思う。そのことに慣れてしまうと、地図がなくなったとたんに途方に暮れてしまうのかもしれない。まあ、地図の上を歩いたことのない私が類推で言うことなのかもしれませんが・・・・。
と、考えて、ここの所、ほとんど家にいる。考えている。料理を作る。夜になるとビールを飲む、なんとも自堕落である。一日二行ほどの文章を書いて、後は、だらだらしている、セリフを反芻したりする。人が見たら・・・どうしょうもない生活のように思うだろうが・・・・今や、自分で考える以外に生きていく道はないのだと悟るのだ。
勤める生活にあこがれるが・・・時すでに遅いのである。
というわけで、日々やり過ごしている・・・・子供を観察しているだけで一日は過ぎていく。そういえば、想田監督の映画は観察映画といっていた。広く浅くではなく、深く狭くを心がけているといった監督の言葉が心に残った。

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