ピンチをチャンスに

ピンチは続くがチャンスにしたいと思ったりしている。こういう時期だから考えることもできる。今2月11日~のリーディング公演「ストーリーボックスザトーキョー」の稽古中。

普段借りることのできない施設がすんなり借りることができた。人が集まることが少ないためだ。こんなところにチャンスが有るのかもしれない。

稽古場がほしい。稽古する空間があってはじめて創造が生まれる。演劇芸術は特にそうだ。何人かに声をかけて共同でとかも考える。

自由に使える空間があって、誰かがいつも何かを作っている、小さな工場のようなイメージを持っている。堅苦しい決まり事もできるだけ排除して、俳優や演出家が集まる場所。

そんなことをぼんやり考える。長野県飯綱町に年末、滞在した。小学校をリニューアルした施設が傍にあって、いい雰囲気。こういう場所で新たな演劇を想像しようなどと考えたりする。今年は長野県の佐久でも塾三年目。新しいことを目指そうと考えている。塾生も何人か継続して参加してくれるようだ。メンバーを見て、きちんとした演劇を創ろうと考えている。

今の状況はピンチかもしれないが、もしかしたら大きなチャンスなのかもしれないと思っている。まずは稽古場。腰を据えてやれる場を探しています。

今年もはじまりました。ゆったりとスタート。過激な1年にしたいものです。

秋深し

もう、11月。秋が深まっている。コロナはますます日常化し、どこに行ってもマスクだらけ。人々が目だけギョロギョロして歩いている。

こんなことがいつまで続くのだろう。まあ、おそらく人間たちの滑稽な出来事として、歴史に刻まれるのだろう。

色々と準備はしているが、レクラム舎としてまとまった公演がなかなかできない。NHKでやったラジオドラマの台本が面白いので、それを演劇化しようなどとも考えている。今までとは一味違う演劇になりそうだ。

11月。学校では「楽屋」の上演のための稽古。佐久創像館では鈴木一功演劇塾として11月末に「かっぱの目玉」を中心にした塾生たちの公演を行う。中学生から、70才過ぎの人まで、様々なキャリアの人たちが集まった。コロナにも負けず。熱心にやってくれている。

大谷亮介と中西良太が企んだ映画の撮影もある。鈴木一功という役。本人役で出演する。のはいいが、歌ったり踊ったり、大変です。まあ、ドキュメンタリー風幻想映画といったところですかね。

バタバタとあっという間に一年が過ぎていく。人生もそんなものなのだ、という実感がこの年になって迫ってくる。若いときと違って何がなんでもという気持ちが薄れる。

そうやって年令を重ねて、くたばるわけですね。

芝居の方はここ一ヶ月足らずで、次の企画を立ち上げます。まずは役者、スタッフ。新たなスタートになると思っているのです。

来年に向けて、準備の11月です。

地方都市での公演から

 東京、中軽井沢、上越高田にて「海の見える理髪店」を上演した。今、コロナで自粛が流行っているが。主催者が決断して上演してくれた。

 キャンセル相次ぐ中で、大勢のお客さんが来てくれたのは感謝しかない。一人芝居ということもあるが今実演をやれるのは相当に幸せなことなのかもしれない。

 東京以外の場所で演じる。どこででもやりたいというのが本当のところで、砂漠の真ん中でもやってみたいなどと思う。そこに人がいれば、いつでもどこでも演じる用意がある。

 本気で街角に立って演じようかと思ったりするのだ。演劇は元々そういうものだと思っている。誰かが見ている前で、誰かが虚構の世界を創る。そこはもう虚構に埋め尽くされるのだ。現実も虚構も実は紙一重だと思っているので、演じる場所はどこでもいいのだ。

 で、今新たなことをと考えている。例えば夏目漱石の「夢十夜」身体と音楽と人形と動物と・・それから自然とが混ざりあったような世界を作り出せないものかなどと考えたりしている。虚実皮膜の世界。なんてことを考えるが。実現するには力技がいりそうだ。

 演劇祭もやりたいと考えている。どんな演劇祭がいいだろう。平田オリザ氏が豊橋で演劇祭を始めた。羨ましいものだ。今年は大変だろうが、ちゃんと実になるだろう。

 まだ何年か生きる予定なので、ジタバタと戦略を考えて・・・まあ、この戦略というのが私は苦手で、やれればそれでいいなどと大雑把になってしまう。

 来週から長野でワークショップ。学校では清水邦夫の「楽屋」をやろうと計画している。幸い今とってもいいブレーンがいるので、地方都市での公演から世界を目指そうなどと野心を燃やすのである。コロナ未だ収束せず。人間が少しづつ歪んできているように感じるのは私だけではないと思っているのだが。

コロナ 2

世の中はマスクだらけで息苦しい。私の生活はさほど変わらず。5月5日に近所の神社でべっかんこ鬼を上演した。

神社で稽古をしていたら、たまたま通りかかった散歩の会の人たちが後押し。十人ほどの観客。神社の外で気持ちよく演じた。

お代は投げ銭で。近所の蕎麦屋。コロナの自粛まったく関係なし。いつも通りの営業。この店にはコロナはなかったのだ。

休まないのかと聞くと「だって、仕事だから」と、お上の言うことに聞く耳なし。芝居者にもそれくらいの若いやつがいてもいいと思うが。

自粛と言われれば、自粛し。中止し、延期し、あくまでも従順。困ったので、国に金をせびったりしている。まあ、どこに金をせびってもいいが、言いたいうことも言えなくなるようでちょっと怖いね。

戦争中、爆撃の下で戦争反対の旗を掲げた、新劇の人が見たら、今の時代をどう感じるんだろう。

まあ、戦争とウイルスは根本が違うと言う人はいるだろうが、寺山修司が若かったらどんなことをやってくれただろうかなどと思う。

じゃあ、お前がやれ、と言われそうだ。せいぜいが外でゲリラで演るくらいしか思いつかなかったわけです。

さて、私は7月31日(金)15時から三軒茶屋のチロコロ。8月1日 14時 北軽井沢のくつかけテラス。 8月2日 上越市にて、萩原浩の「海の見える理髪店」

を一で芝居で演じます。7月6日からはじまるNHKのラジオドラマ青春アドベンチャー。ストーリーボックスザトーキョー。これは面白いのでお薦めです。もちろん私も出てます。

若い気鋭の作家たちの作品。一本が15分。5本のオムニバスですね。何か別の形で芝居に出液ないものかと考えたりしています。

8月以降は長野県の活動も始まる。新たな形の劇団を構想している。ここ一番。何か新しい、素敵な、コロナなんか屁の河童の芝居を考えたいと思っているのです。

演劇はマニアにだけ発信していていいというものでは、断じてなくて。小劇場は実験。基礎的な実験の場という考えももちろん分かるが。

そこに抗うことを実践したいと今は考えているのです。

コロナ

コロナで何もかもが休みになっている。6月の佐久での一人芝居も7月あるいは9月になりそうだ。さてコロナ。へたなことを言うとぶったたかれそうだ。

私は67なので。高齢者。罹るとどうやら死んじまうらしい。で、今の日本の雰囲気は、いや世界の雰囲気は、死んだら大変だ。で大騒ぎになってるわけだ。

人類が全滅の危機なら焦るが、年寄が死んで、少し掃除ができたという程度。まあ、私は掃除される側ですがね。ちょっと思うのですが、人は死ぬことより、もっと守らなければならないこともあるんじゃないか。なんて思ったりするのです。死んだほうがマシってこともあるわけだからね。で、今の騒ぎ、まだ続きそうだ。で、終わってなにかが変わっているかと言えば、何も変わらないのだろう。皆大挙して旅行に行き、外国に行き、夜は飲み明かし、テレビはお笑いがますます増え、演劇や映画、芸術も深刻なのはもうたくさんと軽いノリが大流行になり、消費は活性化し、東京オリンピックで大騒ぎ。外国人もたくさんやってきて、今の政権は大安泰。となるのが、まあ、良かったなということなんだろうね。

そうでない場合。大不況ががやってきて、演劇だの芸術だのと言ってる場合ではなくなるわけで、まあ、どっちにしても我々のような仕事はしんどくなるに決まっているわけです。

というか、もともとしんどいのが顕著になったと言うだけかもしれない。今更コロナだから何か考えなければ、なんて言ってるのは普段何も考えてないってことで。コロナもクソもないわけだ。明日、コロナがさっぱりなくなって、明日から心が急に変わって今までの消費する生活を見直して、なんて誰も思わないはずで、今日の続きの明日なんですねこれが。

まあ、今回のことでグローバル。世界は一つ。なんてことが証明されたわけで、そこに歯止めなんかかからないはずです。ヨーロッパのどこかで誰かがくしゃみをしたら、何日もかからずに日本人がくしゃみをしているわけですね。

で、私の生活は殆ど変わりません。三宿の神社で稽古をし、戯曲を書いたりしているわけです。牧野富太郎の物語は快調で、後2ヶ月で脱稿できそうです。植物学者の物語は今の時代にふさわしい気がします。植物を考えるのは現在のウイルスの問題にも通底します。コロナを考えながら牧野富太郎と対峙しています。

さて、近日中に「べっかんこ鬼」神社版を上演するために、現在準備中。どうぞお楽しみに。

3月

年が明けて、あっという間に3月。今月は15日に「べっかんこ鬼」チェロの奏者とのコラボです。21日には「大人も子どもも劇場」と銘打って、三軒茶屋のチロコロで公演です。

私と松坂、新人の杉島、近藤の4人でのリーディング公演です。子供のいる人ぜひいらしてください。そろそろ子供の心を取り戻したいなんて思っている人もぜひ、ぜひ。

で、私、年明けてなんだか全体的に調子が悪い。酒が急に弱くなったと思ったら、持病の痛風が出て、苦しむ。1月10日から禁酒。今に至っている。まあ、いよいよ酒も飲めなくなったということですね。年を感じます。まだまだ子供の面倒を見なくてはいけない身。御身大事にするしかないわけです。

先月からやっと、牧野富太郎の物語を書き始めました。割と早くできそうです。全体の構成はほぼ上がっています。他の劇団での上演も視野に入れて書き始めました。

3月。世間はコロナで騒いでいるが、なんだかきな臭い。こういうことをきっかけに、大号令の時代がやってくるんじゃないかと危惧する。人の命がかかっている、というと、皆黙るからね。コロナを掲げて何でもやろう。なんて見え透いた支配者の影がちらつく。誰かが、この騒ぎで得しているのである。後で、歴史で見たら、きっと滑稽な出来事として刻まれるような気がする。

さてさて、私、酒を飲まなくなって、考える時間が増えた。町田康だったかが酒をやめて、酒を飲んでも、飲まなくても寂しいのは同じだというのをどこかで書いていた。全くそのとおりで、シラフで寂しさを味わうというのもなかなかいいものなのです。

今月、桜はもう少しですね。温かくなりそうです。4月には新作「Kの誘惑・蝶の夢」の再演もあります。1年がようやく始まりました。

発達障害

8月の一人芝居。10月の「べっかんこ鬼・拡大版」長野県の佐久、新潟上越での公演が終わった。台風の中での稽古本番。ともかく乗り切った。

佐久で美術の大田創さんが、徹底的に凝った舞台装置を作ってくれた。車の中で大田さんが「鈴木くんは発達障害だから」と言う。妻が「ピンポーン」と言った。

「僕もそうだからわかるんだよ」と大田さん。発達障害の特徴。モノの整理が下手というかできない。人の気持ちが慮れない。自分のことは夢中になってやる。

その他色々。私の周りに同類と思われる人間が何人かいる、一緒に仕事をしていると漫才のようになる。先日は財布をなくし大騒ぎをしていた私に、もうひとりの私的男が、「だめだなあ、そういうの気をつけなきゃ、入れるところを決めてとかさあ」などと言ってるうちに「あれ?俺の筆箱がない」と騒ぎ出し、みんなで探し、なんと家の子供の引き出しに入っていたなんてことがあった。楽屋で本番前、他の出演者が衣装がないと騒いでいる「だめだなあ、衣装ぐらい管理しないと」私が言った。しばらく探しているうちに、その男が「あれ?その衣装私のですよね・・・」私がその男の衣装を着ていたということがあった。もう一人の私と似た男もまあ、そういうことの連続なのである。笑い話にはなるが一緒に暮らしている人間はたまったものではないのである。発達障害のスキルアップ講座というのがあって、今度一緒に行ってみようかなどと言っている。

今年もあと少し、12月1日に長野、13日、14日に東京三宿の徳の蔵にて「kの誘惑・蝶の夢」の上演となる。久しぶりの私の新作。演出は大谷亮介。出演は私と川口龍

稽古で猛烈に忙しい。私の仕事を黙って手伝ってくれるスタッフの方達に感謝である。昔、私の若い頃、発達障害などという言葉はなかったような気がする。もっと若いときにわかればもう少しマシななどと近頃思うのだ。借金も増えた・・・身を粉にして働こうと、決心の11月なのです。

長野県佐久で考える

ここのところ長野県佐久で「海の見える理髪店」上田で劇作家協会主催で「べっかんこ鬼」を演じた。様々な人に支えられて演じることができているわけだ。

佐久ではホテルの風呂や町中でも「鈴木さん、芝居見ましたよ」などと声をかけられる。ありがたく、責任を感じる。

同時に始めた塾や演劇に手応がある。新作も戯曲の段階だが評判がいい。腹に力を入れて、今年を乗り切りたいと考えている。12月中にも東京、新潟での新作上演を視野に入れているが、小劇場というよりインパクトのある空間での上演を考えている。

長い間、私の演劇活動は新たな観客層の掘り起こしを目指してきた。そこへの模索の連続で、必ずしも成功したとは言えない。組織や演劇人というインテリ層に頼らない演劇。

などとやると無理がある。観客を集めようとすればなりふりかまっていられないわけだ。そのなりふりが私にはどうにも中途半端だったという反省がある。

まあ、そんな事を考えながら、でも本質的な理想の旗は降ろさないで、地道に続けていこうとあらためて決心もするのだ。

熱い夏も過ぎていく。ここのところ日々の暮らしのことを考えている。洗濯したり掃除したり、食事を作ったり。そんなことの連続が実は上質な演劇を創る糧になるのだと、この年になってようやく気がついたりする。来週から土、日は佐久でワークショップ。高校演劇の審査などがある。演劇と正面から向き合う幸福な時間が続く。

長野県佐久で考えた

長野県佐久で「べっかんこ鬼」を演じた。 旧大沢小学校 中込の古民家 お客さんもたくさん来て反応もよく、手応えがあった。

7月27日~演劇塾もはじまる。三年計画でどこまで切り込んでいけるのか。平田オリザ氏が豊岡で演劇活動を始める。移住し演劇の専門大学も作る計画だという。規模はぜんぜん違うが、東京ではない場所で演劇を作りそこから世界に向けて発信しようというような野心もある。11月には私の新作も上演する。

私は演劇の世界では知られている方だが、一般的には無名だ。地方都市で活動する場合、無名であることはやはり武器にはならない。演劇の世界でなにか大きな賞をとっているとか、テレビなどに頻繁に出て顔が知られている、というほうがそれはもう本当にやりやすい。今回関わってくれている舞台美術の太田創さんは紀伊国屋演劇賞をとっている。私は無冠だ。

でやっぱり。公共の予算を使う場合、理由が欲しい。なぜこの人なのか。そこのところが弱い。と、まあ、自分でも思うのですね。佐久での活動はなんとか予算がついたらしい。嬉しいことだが、今後についての不安はもちろんある。それは私の無名に起因するのだけれど。平田氏が乗り越えられるだろうことは、私には難しい。

栄光ある孤立無援などと気取ってみても、屁のつっぱりにもならないのですね。移住して腰を据えてなどとも思うけれど、時間がかかりそうだ。演劇活動を地道に続けて、そこから何かが見えてくるというようなことなのかもしれない。平田オリザ氏は豊岡で世界演劇祭をとぶち上げた、すぐに実現するだろう。

で、私の佐久での演劇は、まず理解してもらって、から始まる。演劇塾、そこから始まる。プレイはプレイだ。ピーター・ブルックは劇は遊びだと言った。その延長線に立ち位置を置いて独自の世界を切り開く心づもりで向かっていこうと、長野県佐久市で考えた。

4月

4月は色々なことが始まる。次男は中学生になった。私の教えている学校は厚木から中野坂上に移った。周辺の景色が変わっていく。

長野県佐久市の演劇プロジェクトもスタートした。熟慮して、豊かな作品を創っていこうと思っている。後はそれほどないのだからね。

ここのところ芝居を見る時間が増えた。改めて贅沢な時間だと思う。眼の前で、人間が叫んだり、泣いたり、笑ったり、考えたりしているのを見ることができるのだ。

もっとたくさんの人に演劇の時間を体験してもらいたいと思うが、なにしろ、日本には演劇教育がないので、観客が育たない。少し難解だともう諦めてしまう・

演劇は絵画とか彫刻と同じだと思っているが、そこのところが演劇教育を受けていない人には理解できない。

演劇はエンターティメントで人に喜んでもらえるものだと思っている。違うんだよね本当は。もっと深淵なんていうと抽象的だが、まあ演劇は人生そのものなのだと思う。

観る方も、やる方も取り返しのつかない時間を共有するわけで。だから演劇は面白くて癖になって、もちろん毒にもなるのだ。

4月。本当に色々と考える。引っ越しもして落ち着いた。今までの家より数段いい。こんなことならもっと早く引っ越しとけばよかったとも思う。タイミングも良かったんだろうね。

4月も早半ばも過ぎた。隣の花畑に蝶たちがやってくる。花が咲き誇っている。気分が幸せになる。たったそれだけのことなのだけれどね。

ここのところ風邪気味。早く直して。5月に向かう。