秋になって

秋だ。

「優希の鐘」の稽古真っ盛り。三軒茶屋の五丁目クラブから喜多見のフォトワンスタジオ。そして三軒茶屋のスタジオへと稽古場が変わる。

新作である。書き直し、が続いてようやく決定稿となった。新人の門前日和君も苦労したと思うが、いい結果を残したい。

ようやく、コロナは日常的になって、マスクを外しているが、相変わらず外でも中でもどこでもマスクの人たちがいる。一体どうなったらマスクを外すのだろうか。

私はマスクが嫌いでほとんど今までしないできた。これからもしたくない。今稽古中もマスクをしたり外したり。マスクの強要はしていない。個人の判断に任せている。

コロナ。稽古場で蔓延したら、中止ということになってしまうのかもしれないが・・・神経質になることに拒否反応がある。なにげなく気をつけるくらいでいいのではないかと思っている。

秋だ。芸術の秋。なんて言う人もいるが、芸術は一年中だ。人には芸術は必要で、それはほとんど食い物と同じくらいではないかと思ったりする。

秋だ。過ごしやすい季節だ。いい風が吹いてくる。一踏ん張りの秋を乗り越えて、冬に備え、春を待つ。一年はあっという間です。いい芝居を提供しようと明日も稽古場です。

夏は盛って

7月半ばも過ぎた。夏は盛っている。コロナは相変わらず蔓延。マスクをし注射をし、それでもコロナ、コロナ。国は感染対策とやらを見直すべきだと思う。

マスクしてなかったら一千万人のコロナ患者というわけでもあるまい。

さて、道学先生の客演公演も終わった。いらしていただいた方には感謝。久しぶりに自分の演技に集中した仕事ができた。

7月28日からは成城学園駅側の第Q芸術という劇場で、丸尾聡プロデュースの3プレイズに出演。松坂わかこが一人芝居「23分間の奇跡」を演じる。

私は、案内役のような役割だ。泪橋ホールのべっかんこ鬼はコロナの影響で中止となった。

8月。一休み。半ば過ぎから10月公演のキャスティングに入る。新潟にでも行こうと計画中。

夏は盛って、好きな季節。書きかけの作品を見つめ直そうと考えたりしている。

夏バテなどせぬように、お体自愛ください。暑中お見舞申し上げます。

5 月

5月に入って、今年度の準備が整った。成城学園駅側の劇場での公演をメインに、3本の作品を準備している。

20日過ぎからは、劇団道学先生の公演の稽古が始まる。5年前にやった作品の再演である。

7月には泪橋ホールというところで、「べっかんこ鬼」を演じる。

と、まあ、俳優業、演劇に携わる仕事は続いているが、ここのところは日々の生活が楽しく、その事を手放したくないなあ、などとも思う。生活俳優であると言ったりしているのですがね。

ここのところ、芸能に携わる人の自殺がクローズアップされたりする。息苦しいコロナの問題もあると思ったりする。本当に、無邪気に笑ったりすることが出来ない世の中に、誰がしているのか。もしかしたら、日本に蔓延している空気、その空気は誰が作って、どうやって脱却しなければならないのか・・一人ひとりが考えなければならないのだと思う。

5月新緑の季節。木々の葉はまだ淡い緑である。深い緑になるのに時間がある。季節は巡るわけです。

6月29日~7月10日まで。新宿のシアタートップスでやる道学先生の公演。是非足をお運びくださいませ。

来年度に向けて

2月も半ばを過ぎた。今年度の作品は終わった。11月の「母ちゃんと王様」2月の「アクアライフ」。好評で幕を閉じました。

 1年はあっという間です。後何本芝居ができるのか。どう考えたって、今までより、これからのほうが短いに決まっている。悔いのない芝居を作っていきたい。

 時々、もっと別の人生もあったのじゃないか、などと振り返ったりする。どこで、どうなって、こんがらがって今。なわけだが、到底まっとうな道は歩けなかったと思ったりする。

 コロナの問題。大きな社会実験なんじゃないかと思ったりもする。命がどうのと言えば、皆右を向くことがわかったので、権力者は命を守るとか言って、やりたい放題のことをやる時代が近づいてきているような気がする。なんてったって命が一番だからね。死んだほうがマシだ。などと昔の人はよく言ったものだが、今そんな事を言ったら袋叩きにあいそうなのである。

 さて、3月~来年度の企画やら何やらがはじまる。牧野富太郎はNHkの朝ドラになるらしい。5年以上企画して本も書いている作品なのでなんとか仕上げたいものなのだ。

 佐久の創造館にも随分世話になったので、恩返しもしたい。金沢でも拠点を持ちたいなどとも考える。やることは盛りだくさんだ。今月は本当に久しぶりにのんびりして。

 3月6日の「べっかんこ鬼」からスタートします。

コロナ

コロナはただの風邪ではないことを身を以て体験した。9月初め、家庭内感染とやらで、流行のコロナになった。何しろ流行り物には乗り遅れないのが信条でもある。

熱が続き、物凄い咳。気管支と肺がどうにかなると思ったほど。三日目に熱が下がり、一週間家で待機。保健所から許しが来て、ほぼ完治した。よく言われている後遺症もない。

まあ、運が良かったということでしょう。まあ、芝居などやってるので、やや丈夫ということもあるのかもしれない。で、コロナが恐ろしくなったというわけでもなく、いつもの日常。

11月公演の稽古が始まった。幸い感染数というものが減って、やや安心する。というか、世間が安心しているというかね。

さて、新しい芝居。喫茶店の公演。ここ何年かやっているチロコロである。小劇場で公演することにやや興味がなくなった。出来るだけ普段芝居を見ないような人に観てもらいたいと考えて、ここ数年やって来た活動の延長線にある。長野県佐久、飯綱の公演も決まっている。作品もわかりやすい。NHkのラジオドラマで放送されたものを書き換えたもの。作家の門前日和氏も芝居のことがわかっているので助かる。若いので柔軟性もある。キャストもほぼ満足の行く布陣。人数も多く、客演ばかりなのだが、劇団でやるような稽古ができている。あと半月粘って、いい作品を提供したい。

小さな空間だが、感染対策にも気を配って公演を貫徹したいと考えています。今まであまり見たことのない、不思議な芝居が出来上がる予感がする。

人類は古代から密になって、ウイルスと戦い、寄り添って生きてきたと思う。そのことは疑いのない事実。密であることに恐れを抱いてならない、と、コロナに罹った私は思うのだ。

何年続くかわからない今回の感染症に怯むことなく立ち向かいたいと思っている。実演は古代から続いている。未知の感染症に孤立せず立ち向かってきた。

未知なるものを恐れすぎづ、油断せず、突破したいものである。

近頃思うこと

コロナ、コロナと毎日進む。オリンピックもやるのだろう。やるのだから、みんなで盛り上げましょう。と言う政治家がいない。コロナがあるから絶対やめろ、命がけでやめさせる。と言う政治家もいない。世間の目を伺っている。民主主義という大衆主義が今や恐ろしい。マスクをするのは国家の命令です。と平然と言う人に会った。その人の目は恐ろしく、マスクしない人間を排除しようと意気込んでいるようにさえ見えた。こういう形でファッショがはじまるのだ。ワクチンもいろいろなところで命令となっている。ワクチン打たない人は許さん。と言う空気さえ感じる。演劇人も感染対策に夢中。消毒とマスク。ソーシャルデスタンス。コロナに対し誠実に対処することが社会人としてのあり方となっている。誠実じゃない人は懲らしめられそうな社会の空気が恐ろしい。コロナは空気で感染するから寝るときもマスクと言う人さえいる。自転車に乗っているときはマスクいらないのじゃないかと言えば。木の葉っぱにコロナ菌がついていて空気中を飛び鼻から入るのでマスクをしましょうである。何かが狂っている。で、それらに抗うことは難しい。社会が許さないのである。演劇はもともと反社会的なものだったんじゃなかったっけ。戦争しましょうと国が言えば、断固として反対の声を上げるのに。コロナは別。なんてったって善良な人々の命がかかっているわけです。釈然としない。のは私だけかもしれないんだけどね。大学の授業。あまりマスクをしない。マスクをしない学生もいる。私は注意する。「本当に怖がっている人がたくさんいる。マスクしないと怖がられるからエバッたりしちゃだめだよ。注意されたら謝ってマスクをしなさい」と。結局社会の空気には簡単には抗えない。その昔戦時中に戦争に反対した人はすごいと思う。殺されたりしたわけだから。コロナ平気だと言ってもまだ殺されたりしないからね。ワクチン打たない人を殴り殺そうということには今はならないと思うけど・・大丈夫でしょう。

さて、7月 軽井沢で「べっかんこ鬼」長崎で「海の見える理髪店」東京でも4日に上演する。オフイスコットーネの「母」もコロナの中。一回の中止があったが無事に終了した。楽しい舞台で感謝している。もちろんコロナ感染に気を使い。毎日うがいをし、清潔を保つことを心がけたわけです。木の葉っぱのコロナ菌が鼻から入るのを防ぐ、というところまではやりませんでしたが。9月にはレクラム舎の公演。11月には水と人間をテーマにしたリーディング公演の企画もある。8月からは長野県のあちこちでワークショップも始まります。コロナと共生し仲良くして、公演を続ける。そんなスタンスでありたいと願っています。

カレル・チャペックの作品「母」の稽古をしている。オフイスコットーネプロデュース公演。5月13日から20日まで。吉祥寺シアター。増子倭文江、大谷亮介や若手の人気俳優が参加している。私は三幕に出てくる老人。長いキャリアの中で芝居で少ない出番は初めてで、居様が難しいのだが。楽しんでいる。まあ、そういう年令になったんだね。

社会は非常事態宣言中。全くこの騒動はいつ収まるともしれない。まあ、そうとう得をしている連中もいて。コロナバブルを手放したくない奴らがいると思っている。

十年後にはきっと色々検証されるのだろう。6月5日には北軽井沢で「べっかんこ鬼」6月19日には長崎で「海の見える理髪店」をやる。

連休明けにはチロコロで開催する演劇塾を具体的に考えていこうと模索中。

「母」新しい若い女性の演出。なかなか色気があって、クレバー。いいものです。女性の演出は永井愛以来かな。

若い息子と母の物語。息子を手放したくない母の気持ちが迫ってきて、私は泣けてしまったりする。同じ年齢の子供がいたりするから迫ってくるんだね。

私の役は祖父。しかも亡霊。孫を戦争に行かせようと説得するという役どころ。チェコは周りの国から相当脅かされ、ナチスにもひどい目に会ったりしている。

命をかけて国を守る。という時間が随分とあったのだろう。とても複雑な芝居だが、チャペックのユーモアがあちらこちらに散りばめられている。

チャペックという作家に興味が湧いて他の作品も読んでいこうと考えている。

4月。良い季節。コロナに足元すくわれず、徹底抗戦したいものです。5月の吉祥寺シアターは上演します。ぜひいらしてください。

レクラム舎も新作を8月に上演します。

ピンチをチャンスに

ピンチは続くがチャンスにしたいと思ったりしている。こういう時期だから考えることもできる。今2月11日~のリーディング公演「ストーリーボックスザトーキョー」の稽古中。

普段借りることのできない施設がすんなり借りることができた。人が集まることが少ないためだ。こんなところにチャンスが有るのかもしれない。

稽古場がほしい。稽古する空間があってはじめて創造が生まれる。演劇芸術は特にそうだ。何人かに声をかけて共同でとかも考える。

自由に使える空間があって、誰かがいつも何かを作っている、小さな工場のようなイメージを持っている。堅苦しい決まり事もできるだけ排除して、俳優や演出家が集まる場所。

そんなことをぼんやり考える。長野県飯綱町に年末、滞在した。小学校をリニューアルした施設が傍にあって、いい雰囲気。こういう場所で新たな演劇を想像しようなどと考えたりする。今年は長野県の佐久でも塾三年目。新しいことを目指そうと考えている。塾生も何人か継続して参加してくれるようだ。メンバーを見て、きちんとした演劇を創ろうと考えている。

今の状況はピンチかもしれないが、もしかしたら大きなチャンスなのかもしれないと思っている。まずは稽古場。腰を据えてやれる場を探しています。

今年もはじまりました。ゆったりとスタート。過激な1年にしたいものです。

秋深し

もう、11月。秋が深まっている。コロナはますます日常化し、どこに行ってもマスクだらけ。人々が目だけギョロギョロして歩いている。

こんなことがいつまで続くのだろう。まあ、おそらく人間たちの滑稽な出来事として、歴史に刻まれるのだろう。

色々と準備はしているが、レクラム舎としてまとまった公演がなかなかできない。NHKでやったラジオドラマの台本が面白いので、それを演劇化しようなどとも考えている。今までとは一味違う演劇になりそうだ。

11月。学校では「楽屋」の上演のための稽古。佐久創像館では鈴木一功演劇塾として11月末に「かっぱの目玉」を中心にした塾生たちの公演を行う。中学生から、70才過ぎの人まで、様々なキャリアの人たちが集まった。コロナにも負けず。熱心にやってくれている。

大谷亮介と中西良太が企んだ映画の撮影もある。鈴木一功という役。本人役で出演する。のはいいが、歌ったり踊ったり、大変です。まあ、ドキュメンタリー風幻想映画といったところですかね。

バタバタとあっという間に一年が過ぎていく。人生もそんなものなのだ、という実感がこの年になって迫ってくる。若いときと違って何がなんでもという気持ちが薄れる。

そうやって年令を重ねて、くたばるわけですね。

芝居の方はここ一ヶ月足らずで、次の企画を立ち上げます。まずは役者、スタッフ。新たなスタートになると思っているのです。

来年に向けて、準備の11月です。

地方都市での公演から

 東京、中軽井沢、上越高田にて「海の見える理髪店」を上演した。今、コロナで自粛が流行っているが。主催者が決断して上演してくれた。

 キャンセル相次ぐ中で、大勢のお客さんが来てくれたのは感謝しかない。一人芝居ということもあるが今実演をやれるのは相当に幸せなことなのかもしれない。

 東京以外の場所で演じる。どこででもやりたいというのが本当のところで、砂漠の真ん中でもやってみたいなどと思う。そこに人がいれば、いつでもどこでも演じる用意がある。

 本気で街角に立って演じようかと思ったりするのだ。演劇は元々そういうものだと思っている。誰かが見ている前で、誰かが虚構の世界を創る。そこはもう虚構に埋め尽くされるのだ。現実も虚構も実は紙一重だと思っているので、演じる場所はどこでもいいのだ。

 で、今新たなことをと考えている。例えば夏目漱石の「夢十夜」身体と音楽と人形と動物と・・それから自然とが混ざりあったような世界を作り出せないものかなどと考えたりしている。虚実皮膜の世界。なんてことを考えるが。実現するには力技がいりそうだ。

 演劇祭もやりたいと考えている。どんな演劇祭がいいだろう。平田オリザ氏が豊橋で演劇祭を始めた。羨ましいものだ。今年は大変だろうが、ちゃんと実になるだろう。

 まだ何年か生きる予定なので、ジタバタと戦略を考えて・・・まあ、この戦略というのが私は苦手で、やれればそれでいいなどと大雑把になってしまう。

 来週から長野でワークショップ。学校では清水邦夫の「楽屋」をやろうと計画している。幸い今とってもいいブレーンがいるので、地方都市での公演から世界を目指そうなどと野心を燃やすのである。コロナ未だ収束せず。人間が少しづつ歪んできているように感じるのは私だけではないと思っているのだが。