ビートルズ

渋谷の劇場にビートルズトリビュートバンド・レット・イット・ビーというのを観に行った。いやあ、面白かった。私の誕生日にと妻と長男からのプレゼント。予想していたより演奏、歌上手く。ビートルズの世界を満喫した。客も満席。それにしても、いかにビートルズが画期的だったかがよくわかった。一緒に行った長男も、感激。全然古くないねと言う。ビートルズというバンドがどのような戦い方をして、支持を得たのか、一つ一つの楽曲を聴いていてわかるような気がした。サージェント・ペパーズの衣装で歌う「ザ・デイインザライフ」などというのはライブではじめて観て鳥肌がっ立った。もの凄い曲だったのだ。それにしてもビートルズ。私が中学生の時が全盛。それが今でも、私の息子にまで届くような曲を作ったのだ。サービスで創ったとジョン・レノンが言う曲ほど。いまでも普遍性が感じられる。後にビートルズが解散して個人で好きなように作った曲のほうが古びて感じるのは私だけではないかもしれない。芸術というのは関係性なのかもしれない。人の視線を感じながら創造する。そのバランスがビートルズの場合初期に作った数々の曲の中にあるような気がした。観る側と創る側の緊張感。そのバランスがビートルズなのかもしれない。歌の上手い二人の歌手がいたこともビートルズの強みで、多くのバンドはボーカルは一人というのが大半だ。渋谷のシアターオーブという劇場でもの凄くいい時間をもらった。ヒカリエという近代的な建物の中で、60年代~80年の頃までの時代に遡る。終わって外は変わりゆく渋谷の街。ビートルズは不思議な事に近代化された渋谷の街にもフィットするのだ。改めて思う。ビートルズの活動そのものが大きな芸術であったのかもしれないと。毎日垂れ流されていく表現の中で何が残り、何が残らないのか。残ろうと思って作ったものが何も残らない。残らなくてもいいと思った表現が結果的に残っていく。ビートルズを聞きながらそんなことを考えた。

猫との生活

我が家の猫。名前はヨウカン。オス猫。今年の8月で二歳になる。近頃やや人間化している。まあ世界は家の中で他の猫と会ったこともないので、猫であることも忘れるのかもしれないね。

帰ってきて家族は二階でテレビ。誰もおりても来ない。一人でビールなど飲んでいると、二階から降りてきて「お帰りなさい」とかなんとか猫語で話しかけてくる。「今日は何かいいことあったか?」聞くと、ニャゴニャゴ応える。「そうかそれぁあよかった・・」などと話す。まだ言いたいこともありそうだ。猫が家に来て、ゴキブリがいなくなった。冷蔵庫の下から出てくるゴキブリは猫が殲滅。猫パンチで皆退治してくれる。時々干からびたゴキちゃんが、冷蔵庫の傍で息絶えているのを見つけたが、どうやら猫の憂さ晴らしになっていたようだ。ハエも捕まえる。食うわけではないのだがともかく捕まえて弄んでポイ。役には立っているのだ。朝寝をしていると布団に入ってくる。やや申し訳なさそうに。「ちょっと失礼します・・」とえんりょがちに入ってきて寝る。やたらに話しかけてくるので、息子たちに返事ぐらいしてやれと言うと「何言ってるかわからないんだよ」と次男。いいんだよ「そうかそうかそりゃあよかった」とかいうと満足するんだから。そう言うと次男も時々「わかったわかったよかったね」とか猫に言う。猫も満足してますます話すなんてこともある「ニャンニャン・ニャーゴ・マーオ」「うん・・わかったよ。今忙しいからちょっと向こうに行っててくれない」「ニャン?」「うるさいんだよ」 昨夜の長男と猫の会話。

時々シャワーを掛けて丸洗いする。子猫の時は大騒ぎだったが、今は楽しみにしているようで気持ちよさそうだ。妻が好きで付きまとう。妻がトイレに入れば。外で待つ。足元でじゃれつく。甘える。オス猫なので女が好きなのかもしれない。妻の頭の上に乗っていたのには驚いた。人馬一体ではない人猫一体となっていた。外に出たことがないので、外が怖いらしい。が、窓から外を見て、外の空気を体験してはいる。時どき家の周りにやってくる野良猫はマイクタイソンの様な顔。とてもうちの猫には太刀打ちできそうもない。猫を見ていると、気持ちが休まる。「まあ、人生じたばたしても仕方がなし。猫語の習得を考えて・・・」などと、じっと猫を見る。「いいんだけどさあ、たまには高級なエサも買ってきてくださいよ。少しは稼いでね」と猫に言われて少し焦る。今日も猫と家で留守番。猫は長男のベットでごろ寝。私は土曜の「友情・ある半チョッパリとの45年」の稽古です。

クロウマン

一昨年書いた「クロウマン・鈴森善彦の冒険」が少し動きそうだ。というより動くように今一度動き始めた。元々映像化したいと考えていた作品で、映画監督やプロデューサーに働きかけようとしている。さえないサラリーマンが会社をリストラされ、不思議な少女と言葉をしゃべるカラスと出会い。大きな会社の秘密を暴くという。まあコミックにもありそうな物語なのだが、読み直すと自分で言うのもなんだが、力の入ったいい小説になっているのだ。今年は書くほうにも力を入れて環境を整えたいと考えている。地方都市に拠点を持ちたいとも考えている。

春。少しづつ暖かくなっていく。梅はもう満開だ。桜はもう少し・・・などと言っているうちに寿命尽きるのだろうか、近頃切実に思う。一緒苦労して仕事をした俳優があっちの世界に行ってしまう。深水三章、大杉漣、左とん平さん。今年の春は知らないのだ。

春過ぎて、すぐに夏。こども達がなんだか成長して、体が大きくなった。長男は背が私より大きくなって、次男は時々長男と間違いそうだ。でかい男が狭い家でごろちゃらしていると鬱陶しいが、まあ、そうやって世代は変わっていくのでしょう。選手交代も近い、などとは思わないで、懸命に虚空に花を刺す。と語ったのは劇作家の清水邦夫さん。書いたり、演じたりなどという行為はそんな感じが強いのかもしれないね。ふと虚しくなる。まあ、生きていくのは虚しいのだけれど、書いたり演じたりしていると虚しさ抜きには、何も出来ないような感じにはなっていくのですね。

で、夜、近所の銭湯に行ったりする。ちょっと知った顔のオヤジと湯船に入って、なんだかホッとするのです。日常の虚しさからふと逃避できるというかね。そういう場所が、誰にでもあるのだろうけれど、私の場合近所の銭湯だったりするのです。

さて、来週から新しい小説を書き始めます。 4月の独演は西部邁さんの「友情・ある半チョッパリとの45年」を演じるつもりでいます。西部さんは見事な自死をしました。

受験

上の息子が高校受験。深夜まで勉強している。一つ目の高校は受かって、それも上位なのでどうやら授業料は免除になるらしい。レベルの高い高校ではないが、まあ,良かったなと。

今日も夕方まで次の高校の受験の為に図書館に行っている。受験の制度そのものが、なんだか人間を振いにかけるようで、納得出来ない。なんて生意気なことを考えて、結局、専門学校のような所に行った。時は学生運動真っ盛りで、その専門学校に受験を勝ち抜いた優秀な大学生が、学校がロックアウトされているために集まっていた。そこで結構もまれ、友人も出来た。

まあ、ラッキーだったんだね。で、息子達に受験なんかやるな、などと言えないで、頑張れなどと言う気持ちになったりする。近所の友人が祝いのケーキをくれたりする。

人間を振いにかけ、社会を作っていく。というシステムはいまでも、なんだか納得はできないでいるのだが・・・遠い未来には今のような制度は無くなっていると思うが、では、どうやって社会を、人間の社会を作っていくかというと、どうにも悩ましい。ダメな奴を見つけ、頭のいい人間を見つけるシステムが、どうやって出来るんだろう? 生まれた瞬間に脳みそをスキャンでもして、大体のことはわかる、などという未来が来るのか、で、それで、その人の運命が決まる。というのも、なんだか恐ろしい。

走るのが速いとか、遅いとかは努力してもどうにもなるものでもない。演じるなどというこもそうで、あまり努力と関係ないような気がしないでもない。で、受験。やっぱり努力なのかねえ。

うちの息子も夜中までやってなければ、試験には受からなかったんだろう。けれど、それで人間の価値が決まるというわけでもない。

いやはや、難しい問題ですね。で、結局息子が努力してるので、こっちも酒をやめたりして、少しの努力を共有しているのだけれど・・・だからと言って。試験には受からないってこともあるのですよ・・・。

と、ぐずぐず言ってるが、授業料免除は助かる。今日は家で焼肉でも食うことにしよう。

2月もそろそろ半ば。3月3日に私も独演会。努力していい作品を作りますので、いらしてください。

三茶の前回と同じ喫茶店。今回は食に関するいくつかの戯曲を読み、演じます。

アルバイト

十代の頃新宿のレストランで働いたことがある。アメリカンスタイルの先端の店で忙しかった。当時珍しかったBLTサンドや、ミルクセーキ。といってもアイスクリームを攪拌してイチゴだのチョコレートだのを混ぜたもので、今ではよく見るが当時はなかったものだった。物凄く流行って皿洗いも半端ではなかったように思う。当時は洗浄機などなかったしね。ジャガイモもナイフで剥いていた。というような経験をして、今65歳で、あるところで皿洗いのアルバイトを始めた。十六歳のころの経験が蘇って、それほど苦ではない。何時間かの奴隷である。高級な店なので、仕事は丁寧だ。野菜の扱いも丁寧に、赤ちゃんを扱うようになどと言われ、そう思ってやってみると野菜とはこんな顔をしていたのかなどと発見したりするのだ。

いい年をしてアルバイトもちょっと恥ずかしいが、そんなことも言ってられない事情もあるのですよ。悪戦苦闘した本も上がったが、いつ出版できるのかは、まあ、わからない。出版されれば売れると思っている作品なんですがね。なんてことで、2ヶ月近く閉じこもって家で仕事。気が付いたらポツンと取り残されていた、なんてことになったりしているわけです。

時間が出来て、今月から月一独演会をやります。1月20日に「べっかんこおに」 三軒茶屋の外れの小さな喫茶店です。ここから出発する気持ちで始まります。

ここでの活動から次に進もうと思っているのです。新作も用意しよう。新しい芝居の準備です。年末に深水三章さんが亡くなった。70歳だ。12月10日に新宿で二人で飲んだ。一緒にやろうなどと話したばかりだった。息子が「お父さんの知り合いよく死ぬね」と心配顔で言う。親父もそろそろかと思うのかもしれない。10歳の息子に「お前が20歳までは生きてるつもりだ」と言うと「どうかねえ」と苦笑いした。

まあ、踏ん張るつもりです。三茶の外れの店にどうぞいらしてください。今年もよろしくです。

年の瀬に

今日はクリスマス。子供たちは楽しみにしている。パエリアを作り。ケーキを注文し、プレゼントを渡す。下の子はまだサンタクロースもやってくる。クリスマスを過ぎると暮れの準備。昔は路地に畳だの障子だのが晴れた日に出て、張替えをしたり、畳を叩いたりが暮れの風景だったが今はそういう光景は見なくなった。それでも大掃除は少しづつ進めて今日も掃除だ。クリスマスは子供にとっては楽しみなのだが、そんなに印象には残らないもので、思い出しても楽しいクリスマスの印象がない。不思議なもので正月は思い出があるのだがクリスマスはそれほどでもないのは、昭和30年代、まだクリスマスがどうのなどと言ってられなかったのかもしれない。今思い出したが近所にキリスト教の子がいて、その子に誘われて教会に行った。お菓子や簡単なプレゼントも貰った記憶がある。この1年。色々とあった。新潟や長野での芝居。高校演劇。道学先生という劇団への客演。年末にかけて子供の頃を遡って1本の小説にしたものが完成した。出版できるかどうかは今後の粘りなんだろうけれど。久しぶりに戯曲も書き始めた。「苦い汗」というタイトル。苦い芝居を1本書く。というわけで今年も仕舞いです。来年は早々。1月20日(土)に近所の喫茶店で「べっかんこおに」をやります。月一独演会という形で色々やろうと思っているのです。ぜひいらしてください。一回目はプロのギターリスト山越氏と競演します。それではよいお年をお迎えください。

農文協 農業書センター

神田神保町にある「農文協 農業書センター」に時々いく。神保町は縁のあるところで、昔レクラム舎の稽古場があった。蜷川スタジオもここで始めた。古書店を回り演劇の本を見つけて買ったりしたのも神保町だ。学校のような場所だと思っている。中央大学も近く、そこの女子学生とも縁があったりした。そんなことで、神保町に行くと落ち着く。サボールなんて喫茶店は今もあるし、天ぷらととんかつの専門店も昔ながらだ。カレーのボンディーもよく行った。何年か前にその神保町で芝居の稽古をすることがあって通ったのだが、その時偶然見つけたのが、農業書センターだった。岩波ホールから少し斜め上を見ると看板があるが、入る場所が分かりにくい。本気で探さないと見つからないだろうね。ビルの裏のエレベ-ターに乗って3階だが、今は隣の薬局からも入れるようだ。なにしろ、品揃えがいいのだ。農業書センターというくらいだから、農業全般は揃っているが、例えば牧野富太郎の著書や原発関係の本。世界一貧しい大統領の本。食育関連。虫、カエル、林業、知的好奇心が刺激される。獣道の特集。種、蜂蜜、ジュースまで売っている。最近では棚田の写真展をやっていた。ここ行くと、何かひとつは買ってしまう。この間は来年の食育カレンダー。その前は虫のキッド。種も買ったことがある。買いたい本も山のように見つかる。田舎暮らしの本も多い。というわけで、岩波ホールでやっている映画を見た帰りなどにもよる。岩波ホールで見たイタリア映画「はじまりの町」もよかったなあ。子供を連れて別れた女性と子供の物語。子供がうちの子くらいなので身につまされたりしてね。
さて、今年もそろそろお仕舞いですね。今年は道学先生、新潟での芝居、長野での高校演劇など新たな体験もしました。今月16日には座高円寺にて食に関する戯曲をリーディング公演します。15時半開演です。来年は早々に「べっかんこおに」の新バージョンを三軒茶屋の小さな喫茶店から始めます。12月16日(土)座高円寺でお待ちしております。私の役は醤油対ソース対決の醤油役です。
農業書センター。ぜひ行ってみてください。きっと何かが見つかるはずです。

座間の殺人事件

今教えている大学が本厚木にある。座間はすぐ隣だ。最近色々社会的問題について学生達と話しながら作品を作るというようなことをやっている。

自殺の問題についてもすいぶんとと意見が出た。今回の事件が起きる前のことだ。三十人足らずの生徒のうち三分の一近くの生徒が自殺のことを考え、中には実行まで行ったという生徒もいた。作品も生徒が書いてきたものを発表しようと考えているが、そのうちの何作かは自殺、殺人の話で、今回の事件と附合する作品さえある。事件が起きてたまたま授業が休みになったりして顔を合わせていないが、巻き込まれたりした生徒がいたのではないかと心配になったりした。今のところ大丈夫のようだ。

さて、今回の事件。犯人の異常さは目立つが、大きく社会の問題で大人が本気で向き合うべきだと思っている。犯人の男は今回の犯罪の前に警察に捕まっている。警察に相当叩かれたと思う。お前は犯罪者だ。社会ではもう通用しないというような脅しもあったと思う。警察は弱者に厳しい。強いものには迎合し、弱っているものは徹底的に叩く。敗者を許さない。

その昔駐車禁止のレッカー移動の仕事に携わったことがあるが、ベンツや高級車には大目に見ると言う傾向があった。金持ちだと後で結局違反がなくなるからと担当の警察官から聞いたこともあった。

転んだらお終いの世の中に拍車がかかっていると思うのだ。犯人の男はもう社会の中に自分の居場所はないと考えたのだと思う。今回の事件は氷山の一角で頻発する恐ろしささえ感じる。

転んでも立ち直ることのたやすい寛容な社会ではなくなっている。昭和の時代はまだ潜り込む場所や人が大勢いた。不寛容な社会の象徴が今回の事件なのだと思う。

ほとんどの大人が自分とは無関係と思っているかもしれないが、この社会を作っている大人たちの責任は重大で、政府も責任を感じてもらいたいくらいだ。お

お気楽なエンターティメントばかりの舞台が続いている。芸術に関わっているものが今回の事件に対処すべきだとう本当に思う。寛容な心と視点で作品を作る義務があると思うのだ。

日本の歴史を読みなおす

網野善彦氏の日本の歴史を読みなおすという本を読んでいる。ある監督のお勧めで読んでいるのだが、これが面白い。非人、河原者の考察や日本の古来の姿が仄かに浮かんでくる。日本が農村を中心にした国家ではなかったことが明らかになったりする。例えば百姓といえば農民を思い浮かべるが、実は違っていて土地を持つ必要のない職人、海民なども含まれていたりとか。江戸時代前の日本の姿が浮かび上がってくるのだ。網野氏は現代は歴史的に見て大きな転換期に差し掛かっていて、天皇制や日本という国号までも見直す事態になると予言している。国というのは国の思惑で出来上がっていくもので、真実は違うのだというようなことが網野氏の本を読んでいると分かってくる。宮崎駿の「もののけ姫」も網野歴史観に大きな影響を受けていると言われています。というわけで、ここのところ本を読んでいる。物を書いている。思考の秋ですね。来年度の予定も少し決まった。というか腹をくくったというかね。で、時々松蔭神社の稽古場の側の元電気屋さんのオヤジの弟子のようになって、近所の便利屋さんの手伝いなど頼まれてやったりする。そこに出入りしている人々は不思議な人たちが多い。例えば桃を道路で売ってる人とかね。どういう桃がいいのか悪いのか。ここで書いてもまあ説明できないというか、いろんな商売をやっている人がやってきて、ぐだぐだしゃべって帰る。その店では古いバッタ物を売ったりしているのだが、買いに来る人もなんだか怪しげなのである。一冊の小説が書けそうなので。時々は取材をかねて息抜きにいく。そこのママが帰りに子供達にと手製のチャーハン持たせてくれたりするのですよ。そのママの年下のパパも風情のある人なんですねこれが。というようなここのところの秋。雨がよく降って家は雨漏りがあった。古い家なのでしたがない。そこが醍醐味ですかね。そろそろと年末の公演に向けて稽古を始めようと計画しています。「べっかんこおに」の新しいバージョンかな。進化した私を見せたいものだと稽古にはいります。

そろりと秋

10月 食欲の秋です。近所の神社の境内で拾ってきた銀杏が美味い。秋刀魚が美味い、栗も梨もりんごも今だ。食うことだけ考えて一日が過ぎていく、というのが本当は人間らしい生き方かもしれません。食うためには、金が要るので、色々と苦心惨憺し、金稼ぎに奮闘するのだけれど、食うものがふんだんにあって住むところもあったら、人間はそれでも働くのだろうか、などということをぐだぐだ考えていると、教育費だの家賃だのなんだのと、ただ家でぼんやりしていても金が出て行く。働かなくてはと、焦る。が、やらなければならないことが山ほどある。けれど、遅々として進まないで、一日が過ぎてゆき秋深まるのです。なにもしなくても腹は減り。食い物は美味い。困ったものなのだ。
久しぶりに、戯曲を書こうと決意して。調べ物を始めた。男と女四人の物語だ。きっかけは学校で自殺の問題を考えたりする授業をやったこと。20人足らずの生徒の中で三分の一が自殺を考えたり、決行しようとした経験を持っていた。これは本当に驚くことで、中に一人、将来に希望が持てないと言った人がいた。そのことに対して他の生徒が甘えじゃないかと言った。
「だから、議論してもしょうがないんだよ。甘えと言われれば甘えなんだ。自分にしか分からない問題なんだよ」と他の一人がやや興奮して言った。そんな議論をしていて、責任はどこにあるのだろうかなんてことを考えた。戦争責任者は処刑されたりした。ではその後の戦後。今の日本を作って、子供達に未来に希望が持てないなどと言わせた責任はどこにあるのだろう。
責任者。手を上げろ。と言いたくもなる。戦後。60年安保、70年安保闘争。戦った人たちは今の世にどのように決着つけているのだろうか。などということを考えて。男女の愛の問題に重ねて一本の苦い物語を作ろうと考えている。「苦い汗」というタイトルで少しづつ書き始めた。働かなくて、働かなくては・・ほら、向こうでは軍楽隊の音楽が賑やかに鳴っている、働かなくては、と三人姉妹のセリフが巡る。秋が過ぎて、冬も近い。まあ、潜り込むにはいい季節ではあるのです。