属する

人は皆何かに属している。例えば会社、クラブ、宗教団体、政治団体、なんとか団、劇団、プロダクション、ともかく属していると考える。
私はほとんど属したことがない、というか属せなかったといえばいいのか、学校にも属さなかった。劇団も自分でやってきたし、今はプロダクションに所属して仕事をもらっているが、ついこの間まで、自分でプロダクションもやっていた。まあ、私のようなのはほとんど希だろうと思う。唯我独尊と言われたこともある。私の特殊性は何かに属すという経験が乏しいということなのかもしれない。で、考える、そこに属していると、他は敵というのは大げさだが、排除にはしる。劇団でもほかの劇団と表向きは仲良くしても、利害は反する。会社同士もそうだろう、宗教となると他の宗教もいいねとなると存続できない。と考えると、世界は敵対の歴史なのかもしれない、排除の歴史と言ったらいいのか。どこにも属さない生き方は難しい。家族だって、そこに属していると言えないわけでもないのだ。
家族の秩序を乱すやつはやっつける、ということになるに決まってるわけでね。何にも属さない生き方は理想かもしれないが難しい。人間の社会が何かに属さない生き方を選べるようになって、初めて平和なんてものがあるのかもしれない。その国にいる限り、なんと言おうと国に属しちゃってるわけだから・・・なんてことを近頃考えたりした。選挙などがあって、色々と属してることが鮮明になってきたりするので思ったのかもしれない。その昔、吉本隆明の対幻想なんてのを読んで、ちょっと考えたりしたことがあったが、まあ、それは属するなどとは全然違うことなのかも知れない。
近頃、年重ねて、そのせいで、まわりはどんどんいなくなる。この人の考えに俺は属してるなどと思っても、そういう人が、いなくなる。気が付くと独りということなのかもしれない。
属することは悪いことではないが、属しすぎると必ず、やっつけるという考えに至るような気がするのだ。そういう戦いが好きな人ってのはいることはいて、私の周りにも何人かいる。演劇人、このなになに人ってのも私嫌いなんですけどね。私たちなになに人は、なんて言い方聞いてると、むかつく時がある。演劇やってる人は案外好戦的で排除されそうになると、ものすごい反撃態勢に入ります。まあ、排除されやすいので敏感なんでしょうがね。てなことを考える今日この頃、選挙、東京都知事、どうなることか。門外漢ではいけませんが時々属しすぎちゃってる人の排除の言葉に、へきへきすることはあるにはあるのです。じゃあお前、どこに属すのか明確にしろよ、と言われそうですが。私は属するのが苦手なのです。

Follow me!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次