悪童日記

渋谷の映画館でアゴタ・クリストフ原作のハンガリー映画「悪童日記」を見た。1980年代に書かれた作品で話題になり、日本でもブームを呼んだ作品だ。久しぶりに見ごたえのある、硬質な映画だった。
簡単に内容を書くと、戦争により、大きな町から、小さな町に疎開する、双子の男の子の話だ。疎開先には魔女と呼ばれる祖母に預けられる。働かされ、叩かれ、双子は変貌していく。大人たちは、戦争の影の中で狂っている。双子も、その中で、子供的に狂っていくのだ・・切なく、厳しく、恐ろしい物語だ。日本でも、戦争中、いたるところで、このような物語が展開されただろうと推測できる。私の父親は昭和4年生まれで、やはり中学生の頃に疎開の経験をしている。疎開先では、ずいぶんとひどい目にあった、と、思い出したくもないように、話したことがあった。この年代の人たち74,5歳から80歳過ぎの人たちに共通することがある。かぼちゃが嫌いだということ。見たくもないと言う。飯の代わりに、毎日かぼちゃだったと言う。一生分食ったと父親は言っていた。
悪童日記でも、食べ物が出てくる・・それを拒否するシーンもある。少しずつ、狂っていく、子供。大きな戦争というきちがい沙汰の殺し合いの中で、傷つかないで、生きようとすれば、自らが狂うしかない。見ていて、そんな感慨が浮かぶ。私が、東京オリンピックの頃だろうか、ちょっとそんな経験をしたことがある。牧歌的な世田谷の風景が壊されていき、人が急激にあふれた。渋谷の街中で、私の友達が急に、人ごみに突進して、暴れている姿を見たことがあった。「なんだかむしゃくしゃした」そいつは言っていたが。急激な変化におびえたのかもしれなかった。流行った、危ない遊びあった。自転車に二人乗りをして、新聞紙丸めて、はげ頭の大人の頭を引っぱたいて、逃げるというものだった。何であんなことをしたのか、よくわからないが・・・狂騒する町の中で、子供も狂騒したのだった。
悪童日記を見ていて思う。今、見なければならない映画だと。殺し合い、殺伐と、経済の効果しか考えない、世界では、殺し合い、殺伐とした、経済の効果しか考えない子供が育つ。感受性の鋭い、子供ほどそうなる。
悪童日記はそのようなうなことを鋭く示唆しているような気がした。両親をも踏みつけて、成長していくという、人間の物語でもある。どこかで親を切り離さなければ進んでいけない、成長の物語でもあって、ともかく、いろいろなことを考えた。お勧めの一本です。

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