映画

2本の天才女性アーティストのドキュメンタリー映画を見た。「至高のエトワール・パリオペラ座に生きて」オペラ座のエトワール、アニエス・ルステチュがエトワールを引退するまでの2年間を追ったものだ。体を使う芸術というものの、奥深さを感じさせてくれる。クラッシックのダンサーだが、コンテンポラリーのダンスにも挑む。体の動きを見ていると、大げさに言えば、宇宙が見えちゃうんですね。それにしても、バレーの世界は、絶頂期に引退する、しきたりというか、美学というものがある。本人は他の分野でもまだまだ踊りたいと言っている。そうでしょう。なにしろ、凄い肉体と理解力を持っていて、見るものを圧倒する。まだまだやれそうです。その上、衣装のデザインまでやる、才能。バランスが取れている。 
もう一本「マルタ・アルゲリッチ・私こそ音楽」は世界的な女性ピアニストの、こちらは生き方に迫っている。2歳からピアノを弾き、十代は美少女のピアニストとして名前を馳せ、日本でもお馴染みのピアニストだ。子供を4人もうけたが、父親は違う。結婚離婚を繰り返している。私生児もいる。70歳。今も現役だ。日常はラフな格好で、時々公園で見かける,猫に餌をやってる,ホームレスのおばさん・・に、ほとんど似ている。気ままな、奔放さでも勇名で、周りは大変だろうと思わせる。娘が学校に行くということを、理解せず。学校を休めと言う。親に反抗するために学校に行ったと。娘が言っている、場面で笑った。まあ、わたしも似たようなところがあって、学校など・・などと思うことが、多々ある。音楽ってなにかと聞く娘に「音楽は、感じること・・感じる、それが大事だ」と言う場面があるが、感じる、という教育は知識を詰め込む教育より、厄介だ。感じないと、芸術など出来ない。絵もかけないし、ピアノも弾けない、演じることも同じだ。風景を見て美しいと感じ、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、演じたりするのだ・・。
映画館を出ると、だれかが、新聞の号外を持っていた。高倉健さんが亡くなったニュース。高倉健さん。ずいぶんお世話になったような気がした。ご一緒できる機会は無かったが。網走番外地のシリーズや「死んでもらいます」の任侠シリーズは夢中になってみた。深夜の映画館で健さんが出ると「待ってました!」の声がかかったのも、懐かしく思い出す。居酒屋兆司では映画館で声を出して泣きそうで、恥ずかしかったのを覚えている・・合掌。少し時間があるので、映画を見ようと思っている。日本の映画もね。思いつくまま、印象に残った映画を何本か。ポールニューマン主演の「暴力脱獄」「ゴッドファーザー」のシリーズ。アランドロンの「サムライ」キューブリックの「2001年宇宙のたび」「バリーリンドン」モンド映画といわれた「世界残酷物語」フランス映画で「腕白戦争」アメリカ映画では「ウエストサイド物語」「フレンチコネクション」・・・日本映画では「悪名」や「座頭市」勝新太郎もの「網走番外地」のシリーズ。大島渚の「日本春歌考」・・偏ってるなあ・・まだまだ、あるんだけれどこのへんで。
ようやく体も元に戻った。若い人たちと、ソートンワイルダーの「わが町」を創っている。私も演じているので、懐かしい作品だ。
二人の天才女性に感心ばかりしてはいられませぬ。私も体を使う仕事。そろそろと、稽古に入っています。体と向き合って始動です。

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