書く

いつぐらいから、書く事をやってきたのかと考える。小学校3年生の時、詩を読みに外に出るなどということを、学校でやっていた。
麦を見て「麦」というタイトルの詩を書いて、区だか都だかの本に載せてもらったことがあった。世田谷区民会館で表彰式があったのだが、自分の順番が来る前に逃げ出した。
その後、詩は書いていたのだが、6年生くらいの時に担任の先生から技巧的だと言われ、それで詩を書かなくなった。
中学生になると、ポップスレコードの裏の訳詩にはまって、似たような詩を書いたりして、それに曲を付けてもらったりした。
日記のたぐいは続かないで、芝居を始めてから戯曲を書くようになった。ビートルズの影響だったのかもしれない。自分で詩を書き、曲を作り、プロデュースする。そういうことがものをつくっていくときの基本のような気がしていたからだ。そして、初めて書いた小説が本になることになった。これは本当に幸運なことで、滅多にあるようなことではないような気もする。
それで、二本目も書こうと努力しているのだが、そう簡単にはいかない。全体のプランはできているのだが、細部のところで止まってしまう。考えるのが、きつくなる。
このブラックグラフティーも10年くらい続いているのだろうか、まあ、日記のようなものだが、人が見ることが前提となっているので、技巧的にはなっているような。
文章の練習も兼ねている。書くとか読むとかが好きな方で、それはきっと母親からの影響だろう。母が死んで日記が出てきた。父が読むことが前提になっているような日記で、自分が先に死んで、父にと考えていたのだろうが、残念なことに、先には死ねたが父はもうその日記を読むことはできない状態だった
たぶん書くのは、誰かに残す、残しておきたい言葉のことなのかもしれない。今、誰に残したいのか・・・・などと、近頃書いていて思うことだが、今日も明日もたぶん書く事は続くような気がする。

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