深夜聞いているラジオで、罠猟師のインタビューがあった。鹿やいのししを罠によって捕らえる猟。その肉は全て食料になるのだそうだ。ほとんどの肉を自分で食べるというその猟師は40歳というのだから、ずいぶん若い。
22歳くらいから猟をはじめたという。きっかけは、スーパーで買う肉について疑問をもったのだという。自分で食べる肉を自分で調達したいと考えた。普通、そうは考えない。それに罠である。鉄砲による猟は嫌だったと言うのだ。私が9歳だったかの頃、家業の工場で働いていた新潟の人に連れられて、その人の田舎で歓待を受けた。東京の社長のおぼっちゃんが来た。料理も自慢のものを出してくれたのだろう。庭に大きな立派な鶏が歩いていた。食事の前、突如おばあちゃんがその鶏をとっ捕まえて、食卓の上で、首をちょん切り、羽をむしり、解体をはじめたのである。私は、ただもう、唖然、びっくり。結局一口も食べることが出来なかった。「東京のお坊ちゃんは、だめなのかねえ・・」などと笑われた思い出がある。昭和35,6年の頃だと思う。
ましてや、獣となったら、どうなのだろう。罠で捕まえたいのししや鹿はまだ生きている。それを殺し、解体し、ハムやベーコン、燻製などにし、冷凍保存し、猟期の3ヶ月ほどの間に1年分の肉を蓄えるのだと言う。
食うということはそういうことなのである。野菜、魚、肉、私たちは生きているものを食らう。けれど、それを直視しないで、日々生きている。私たちは魚さえ殺すのに難儀する。けれど、そうしないと私たちは当たり前だが生きていけない。生き物を殺して生きているのだ。罠猟の話は、本当に根源的で、食うために生きているのだと言うことを改めて思い知る気がする。因みに自然のいのししは豚より油が乗っていて美味いのだそうだ。いのししを罠で捕らえることが出来るまで、4年の歳月がかかったそうだ。今年の成果はイノシシ5頭、鹿20頭だったそうだ。
飢えないように、食うために生きている。そういう、根源的な現実を、見つめなおすようなインタビューだった。
猟師は肉をとり、漁師は魚を獲る。農家は野菜を作る。全てはそこからで、後の営みは・・・などと考えて、少し自分のことを考える。ここ何日かドラマの仕事。待ち時間などに、イノシシの罠猟のことが頭をよぎる。イノシシと人間の駆け引き。勝った人間が肉を食らう。ヨーイスタートの監督の声に、なんだか気合が入るのである。
さてさて、4月新潟公演、5月東京の公演の準備が始まりました。気合入れてスタートです。

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