近頃、つらつら考えて

新潟県の上越市にある猿供養寺という小さな村に行った。家族4人で安い家を借りて、6日間ほど。近くには温泉施設が有り一人350円で入れる。都会の銭湯より安い。
滞在中にそこの管理者の好意もあって投げ銭によって「べっかんこおに」を演じた。古民家で演じた芝居は満足のいくものだった。この村で又芝居をやろうなどと考えている。
美しい村だが、冬は日本でも有名な積雪地帯でもある。美しい村の風景の中で、この美しさを維持しているのは、人々の勤難辛苦の賜物だと思うと、のんきに見とれているわけにもいかない。
この村に住んでみようかなどとも思うけれど、冬を越すだけの度胸といったらいいか、覚悟ができない。寺野の自然と暮らそうサポートセンター事務局の北折さんは、7年ほど前まで設計事務所をやっていた人で、もちろん都会に住んでいた人だ。この村にやってきて、古民家に住み、自給自足のような生活をしている。随分と世話になった。
こういう場所で原稿書いて、稽古してなどとも思うのだけれど・・・・。
本など出して、今までとは違った人の気持ちに出会ったりする。反応は様々で「おめでとうございます」と言ってくれる人もいれば、全く興味を示さない人もいる。まあ、私の日常の態度がどうしょうもないので、本なんか書きやがって、などと苦々しく思われるのも仕方がないとは思うのだけれど。
今まで温かいと思っていた人が実は冷たく、冷たいと思っていた人が温かいなどと思ったりすることがあったりする。芝居を強引にやっていた頃と違って近頃は、人間関係のストレスがなく快適に日常が進んでいく。そうすると、面倒くさくなって、わざわざ人間の関係の鬱陶しさに踏み込まなくても、などと考えると芝居などできなくなって、一人でつらつら一人芝居など、なんてことになってしまうのだが、ここらで少し位相を変えたいなあ、などとも考えたりするのです。
劇作家で私の師であり父であり兄のような大切な存在だった小松幹生さんが8月12日に亡くなった。新潟に行っていたので、葬式には行けなかったが、7月、病院で少しゆっくり話。お別れをしたつもりではあった。その時に次回作の話を二人でした。なににしようか・・・・小松さんは、これでとは言わなかった。私も作品名は特別には言わなかったが、ともかく、やろうよ。いい作品を作ろうよ、などといつもの調子で話し込んだ。珍しく小松さんから手を握ってきたが、その手はやっぱり小松さんの心のように柔らかかった。
台風が来て、夏は少しずつ過ぎていく。人生の夏はいつごろだったのか、などと時々思うが、冬にはまだ時間がある、などと準備もせずに時間は過ぎて、雪に埋もれているのかもしれない。
近頃つらつら考える。芝居のこと、小説のこと、家族のこと、表現についてのあれやこれや。果敢、好奇心、そんな言葉が思い浮かんで、立ち止まってはいられないなどと思い直すのだ。

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