神保町の古本屋街に息子と本を探しに行く。レクラム舎の稽古場が神保町にあったので、懐かしく、知った店も多い。蜷川さんや赤石さんに言われて本を探し て、一日中歩くなんてことが、よくあった。ろくすっぽ学校にも行ってない私の学校は、神保町の古本屋の店だったりしたのだ。高い本を値切ってもらったりし た。サボールという喫茶店でよく本を読んだ。そんな、懐かしい街を息子と歩く。何件か回って、店の人が、案内所があるからそこに行くといいと教えてくれ た。昔はそんな所はなかった。行ってみると、パソコンが置いてあって、検索をする。山本素石と田辺聖子の本。一軒の店を見つけたが、今日は休みとのこ と・・他の店にはないという結果が出る・・便利になった、が、なにか変だ。本当に、神保町中の本がコンピューターの中にインプットされているとはとても思 えない。これじゃあ、歩く楽しみというものがない。何時間も歩いて、諦めかけていた本を見つけた時の、あのなんともいえない、感じ。こんな所で、俺を待っ ていたか!といった感慨とでもいうか、ああ、この日の事は忘れない、などという気持ちは、もう味わえないのかもしれないなどと思ったりする。これは、神保 町にとってもよくないぞ。などと思って、他の店でそのことを言うと「そうなんだよ、来なくていいってことになっちゃうからなあ」とオヤジが言う。思い直し て、何件かの店を回ると、コンピューター上ではなかった本を店の外の山積みにされた本の山から見つける。コンピューターは全てではないのだった。今の社会 はコンピューター上に乗らない事象は、なかった。ということになりかねない。恐ろしいことのような気がしてくる。額に汗かき、テクテク歩く。ということが 否定されるような社会はまずい。等ということを、考えて、その日の夜、立川談四楼師匠の北沢八幡での独演会。コンピューター、パソコン、関係ない、額に汗 する、情の世界を堪能してほっとする。その後、深夜まで、大谷亮介、中西良太と悪だくみ・・いやいや真面目な芝居の打ち合わせをやったのでした。
2008 年 6 月 16 日 (月)
2013年3月7日
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