賭ける

バドミントンの選手が博打場への出入りで、選手の資格を剥奪された。古い賭博とは違って気楽に入った場所だったのだろう。
パチンコだって実は立派な博打で、どうしてパチンコがよくて、賭け麻雀はだめなのか、だれかきちんと納得のいく説明をしてもらいたいものなのだ。
テレビでもそういうことを言う人がいない。競馬は国がやってるから賭け事ではない。立派なスポーツである。ということなのかもしれないが、どうにもすっきりしないのだ。
雀荘によく行って、賭け麻雀をやった。まあ、私たちのは点50円ほどで一回全部取られても1500円という遊びの延長でもあったが、これも立派な賭けで、違法で、有名人だと捕まるということらしい。新聞でバドミントンの選手はキャバクラにも行っていた、などと書かれていたが、何が悪いのか。まったくわからない。キャバクラは出入りしてはいけない場所なんだっけ?
スポーツ選手や有名になった芸能人。特に若い人は浮かれたいし、遊びたいに決まっているのだ。だからやっているようなところだってある。聖人君子にはなれやしない、というか,精力、野心ともに強くなければ、やっていけない世界に身を置いている。社会はもっと寛容たれと思う。寛容であってはならないところに寛容で、弱いところを締め付けて、バランスをとっているのが社会というものかもしれないが、わかりやすい説明をしてもらいたいものなのである。パチンコの換金は確か今でも違法だったと思うけど、誰も何も言わないのは、政治だという人もいる。
私の経験だが、賭け事が異常なまでに好きな人はいることはいる。そういう人を何人か知っているが、皆、人間性はいいのだが、賭け事だけは収まらない。すっからかんになるまでのめりこむ。私などは、ものすごい勇気のように思ってしまう、芝居などやっていると、生き方が賭け事のようなもので、改めて賭け事でどきどきしなくてもいいということもあるのかもしれないけれど。
ただ、まあ、のめりこむ気持ちもわからないこともない。くだらない人間関係に翻弄されていると、勝った負けたのわかりやすさのほうが純度が高いような気分にさせられるような気もするのだ。さて、さて四月も半ば、予定していた仕事が流れて、がっくりし、やけくそで競馬場に、などという考えも浮かばず、閉じこもり、引きこもる。半径2キロくらいのところで、悲喜こもごもしている。4月10日のペーソスとのコラボは賭けではありましたが、勝ち抜けたようで、評判は上々でした。今書いている小説の最初の部分を読んだのですが、続きを期待する声あり。松阪の一人語りも良く。次に繋がった気がします。次回は山田風太郎の人間臨終図鑑を何人かの俳優で読む企画です。どうぞお楽しみに。

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