園芸的生活

3月にもらった白菜が案外うまくいって、子供たちと食べた。で、次はきゅうりとトマトだと考えて、近所の西友に行ってプランターだの土だの買って、レジ。レジにいる同級生のおばはんが「鈴木君も家庭菜園かジジイになったねえ、ガッハハハ」だと。
「女追っかけまわしてるのもいるけど、それよりいいいだろ」と言えば「そんな元気あるのかねえ」とやり返された。
と、まあ、近頃は家にいること多し。半径2キロくらいのところで、悲喜こもごもしているいのだが、芝居ばかり、次から次、人との関係に心くだいた日常から離れると、自分のことが少し見えてくる。もともと人との関係が不得意で、むしろ自分にこもってなんだかだとやっているほうが向いているのに、劇団などを背負ったのが間違いだったなどとも思う。他人の芝居見に行くと、何十人もの人たちが関わって、それを束ねる苦労が思い浮かび、俺には無理だなどと思ってしまうのだ。最近は傾向の違う芝居も見に行く。とてもじゃないがこんな芝居やるくらいなら・・・などと思う芝居も客が入って、何十人の人たちが集まって苦労してやっているのを見ると、こういうのもありなんだと納得してしまう、というか、俺のやり方が常識ではないのだと気がついたりする。
で、家に帰って、園芸。土をスコップでかき回し。家の周りの木の枝だの葉っぱなどを掃除していると、思いがけない虫がいて、それに目を奪われ、見入ってしまう。こういう生活が俺には向いていて、虫の研究でもやっていたほうが・・・・などと思ったりするけれど、時すでに遅いのだ。
山田風太郎の「人間臨終図鑑」を次回6月26日(日)にやろうと読んでいる。葛飾北斎は86歳だかで死んだが、後4年生かせてくれれば立派な絵師になったのにと残念がったと言う話や、偉人たちの臨終にまつわる、なんとも無残な滑稽な死の様子を活写した本を何人かで読もうと思っている。
5月も連休が過ぎ、初夏の様子。教えている大学も生徒が変わって新鮮にやっている。人数も増えたので、新しいアプローチを模索しているところだ。まあ、園芸生活もほどほどに楽しんで、枯れないように気を付けてってなところでしょう。人間が偏屈なので草木相手にしていると、偏屈に磨きがかかりそうなので、そこはなんとかとどまって、明るく健やかに過ごそうか、というところでしょうか。

Follow me!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次