最近見た何本かの映画について書こう。「フェイク」作曲家の佐村河内氏のドキュメンタリー。インタビュー構成となっている。 佐村河内氏は聴こえに障害が有り、奇跡の作曲家として知られていたが、共同制作者が私が作ったと言われ、詐欺師ということになった人物だ。 マンションの一室でのインタビュー。奥さんが付き添い、手話を交えて言葉を交わしてゆくが、この奥さんもなんだか怪しい。本当に普段も手話で会話してるのかと、言いたくなってしまう。 映画は、淡々と描かれるが、奥さんの怪しさには迫らない。最後逆転ホームランのような感動的な場面になるのだが、それでも尚、佐村河内氏の怪しさは付きまとう。 全体に思ったことは、佐村河内氏のアバウトというか物を作る人間はこういう人が多いということ。叩けば埃の人物がえてしていい作品を作る。人物あくまで高潔、尊敬に値する人物なのに、表現できたものは凡庸だということは山のように多い。最後まで、この佐村河内氏の怪しさが解消されないこの映画は優れたドキュメンタリー映画のような気がした。 「エミリー」 エミリーワインハウスのドキュメンタリー映画。27歳でアルコール中毒で死んだ天才歌手の物語だ。史上最悪の夫とまで言われる、この夫のだめぶりは見ていてわかるのだが、こういう人間が好きな女は世の中にいる。どうしてこんな男と思うが、一緒にいるいい女のことは何人も知っている。妻にそんな話をしたら 、「あたしもそう思われてるから」の一言であった。 天才というのは特に歌の世界ではわかりやすい。エルヴィスプレスリー、ジャニスジョップリン、美空ひばり、どうしてこうなっちゃうのかの連続の末に死んでいる。もう少し常識が、などと思う方が凡人なのである。常識的ではない声を出す人間が常識に縛られるわけもないのである。エミリーワインハウスのドキュメンタリーはそんな示唆にとんでいた。誰もなにも止められないのである。 「帰ってきたヒットラー」 ドラマであるが、まるでドキュメンタリーを見ているようだった。そういう狙いもあったのだろう。全編を通じ現在の世界、日本のことを考えざるおえない作りになっている。 ヒットラーが叫ぶ。民主主義を否定するつもりか。私は選ばれて登場したのだ。と、ヒットラーの再登場は近いという思いを抱かせる、迫力ある一篇だ。 「シンゴジラ」 期待していたのだが、途中で眠くなった。原因は政治家と自衛隊しか出てこないということに尽きる。俳優も精一杯やっているが、とにかく政治家である。それも表の顔の政治家はどうしたって画一的になる。メモを読んでるような言葉の連続なのだから。だからといって、ホームレスや家族や犬なんてのを出せば、安っぽいハリウッド映画になってしまう。結局ゴジラを抽象化しているので、ゴジラはなにかの象徴のように見えてしまう。もちろんそれが狙いなのだろうが、そう思った瞬間に、わかったからいいやという気になる。客は入っていた。が、ゴジラ映画そのものが限界なのかもしれないと、ちょっと思ったりしたのでした。 見たい映画は「ターザン」かな、これは子供と見に行こう。映画館に行く、知らない人が隣にいて何かを見ている、そういうのが好きで、やっぱり映画館に足を運ぶ。 暑い夏、涼しい映画館で、遅い時間に映画を見る。私にとっては、贅沢な豊かな時間です。映画館に行きましょう。
映画
2016年8月4日
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