老人問題

誰でも年老いて老人となるのだが、自覚するのは難しい。昔なら64歳の私は老人だが、まだ老人の自覚がない。
昨夜「ピーピングトム」というベルギーの舞踏団の作品を見た。老人ホームが舞台だ。テーマは後悔。後悔しない老人などいないだろう。人生はどう生きても後悔は付きまとう。ほとんど大成功の人生でも失敗の苦い人生は味わえなかったのだ。ここのところ、舞台でも老人やシニア世代を扱った作品を多く見る。楽しいものかというと口に苦い。私より5歳くらい上の人たちが所謂団塊の世代と言われ。その人たちが今70歳。昭和21年~24年あたりに生まれた人たちは人数が多い。小学校でも私たちの年齢だと3クラス程度だったが、5歳くらい上だと7クラスなどという状態だった。戦争が終わっていっきに子供が生まれたのだ。その年代の人たちは荒々しく、学生運動なども積極的にやった人たち。その人たちが今老人となって野に放たれた、と言う感じなのである。老人が良くも悪くも目立つ。さて、私。微妙な年齢だ。64歳 体力の衰えも感じない。去年子供とママチャリで7時間かけて奥多摩に行った。
疲れも感じない。けれど、周りの先輩たちがどんどん死んでいく。次はあきらかに自分の番なのである。子供が「お父さんの周りの人よく死ぬねえ」などと言っている。親父の死も近いと思っているのかもしれない。死を見据えて生きるなんてのは鬱陶しいが。目を逸らさず積極的に受け入れる姿勢は必要な気がするのだ。人間はぜったいに死ぬのだ。演劇も自然に死の影が混じりこむ。今やっている「べっかんこおに」も最後に鬼は死ぬのだ。けっこう幸せな死ではあるけれどね。もう一本やろうとしている独り芝居も戦前から生きている老人の物語。「私もそれほど長くないので」と言って。語るのだ。てなわけで、今年も3月になります。春近し。今年度の準備が始まりました。

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