オリンピックのエンブレムが白紙となった。どうやらパクリということらしい。ニュースでは大騒ぎで、エンブレムをデザインした男は犯罪人のように言われたりしている。こういうことがおこると、いつも思うのは、社会の正義感のようなものが突然大手を振って現れて。正義の人たちが怒っている、なんてことだ。たしかに、完全にデザイナーは甘かったのである。日光江戸村とオリンピックでは、いろいろ違って当たり前で、よほど色々と注意深くやらないとまずかったのが、甘かったのである。大体デザインというものは、昔から似たり寄ったりと言う気がしていて、ある意味パロデーだとも思う。アンディ―ウォーホールの作品だって、ほとんどパロディーだ。が、オリンピックは芸術ではなかったのだ。パロディーでは通用しなかった。パクリ、というけれど、現代ではどんな作品でもどこか似てくると言われている。ボブデュランも、もはや音楽の世界で新曲なんてありえないのだと言ったくらいだ。厳密に言ったらどこか似ている。新発明なんて何十年に一度なのかもしれない。が、オリンピックは新発明でなければならない。なにしろアマチュアの祭典と言うことになっているわけで、そんなことはとっくに違うのだけれど、堂々とプロの手触りを入れ込むと、なんだか鼻持ちならないということになってしまう。妻に「なんだか世の中恐ろしいな、パクッたら死んじまえなんてことになってるぜ」というと「当たり前じゃない、小説やポップ音楽jなら、いやなら読まなきゃいい、聴かなきゃいいってことだけど、オリンピックはそういうわけにいかないでしょ」と、鼻を膨らまして言うのである。それにしても、国立競技場、エンブレムと白紙となった。考えてみれば、オリンピックのコンセプトというかなんというか・・よくわからない。儲かるからオリンピックでもやるべえ、が最大のテーマとなると出てくるものも、儲かりそうなアイテムしか出てこないのかもしれない。その昔、小学校の学芸会でクーベルタン男爵の役をやった「オリンピックとは勝つことではなく、参加することに意義がある!」とセリフをしゃべった覚えがあるが、今やオリンピックは勝つことよりも参加することよりも、儲かることに意義がある!」などと、この資本主義の社会は宣言しそうなのだ。まあ、ついでなので、安保法案なんてのも白紙ってことになると、うまくできた三大話なんてことになる。テレビを見ていて、エンブレムのポスター剥がす画面見ていて、今回のデザインのポスターは幻のオリンピックポスターといことで、数十年後に高い値がつくんじゃないかなどと思う。お宝探偵団に出る日が待たれるわけです。あのデザイナーの事務所も開き直って、オリンピック没ポスター大安売りなんてイベントでも展開したら面白いのになどと思うのだが。
9月になりました。雨ばかり続いています。六日に中軽井沢の駅に隣接したくつかけテラスというホールで「べっかんこおに」を上演します。息子たちも新学期始まって、緩やかに日常が戻ってきました。
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