天変地異

最近、天候が狂っている。60年以上生きてきて、経験しなかったような、暑さ、雨、風に出会う。竜巻なども昔は少なかった気がする。人間は何かで死ぬわけだが、天災に巻き込まれて死ぬ可能性がずいぶん高くなったような気もする。
その昔、古代の頃は、きっと天災で死ぬなんてことは当たり前だったのかもしれない。テレビで災害の画面を見ていると、根源的な自然の驚異なんてことを思い知らされる。人間はこの自然の猛威と戦い、生き抜いてきたわけだが、時折、想像もできない形で襲い掛かってくる。つい先日の朝の地震。朝帰りした私が、茶でも飲もうと座ったとたんにドシンときた。二階に寝ていた家族も、どたばた起きてきて、テレビをつけている。「大丈夫か」と声をかけた。
あのまま、物凄いことになったら・・そして、私の帰るタイミングがなどと考えた。古い家なので、大きな地震に耐えられるのか・・まあ、木造の家なのでコンクリートの古いビルにいるよりは安心か・・。
日常生活の中で、災害のことを考えるなんて、今までなかったが、近頃の狂った天候を考えると、無視できないような気もする。ギャンブルの神様麻田哲也さんが言っていた。ギャンブルは格率で、いい目のあとは悪い目がくる。そのサイクルをとらえるのがギャンブルに勝つコツだと言っていた。麻雀などで、勝ちすぎた後はわざわざ車にぶつかって、バランスを取ったなんて話もある。その麻田さんが、そろそろドカンかなと思うと、ドカンが来る、などと言っていた。
ギャンブルを続けている日本は、どこで、どうやってバランスを取っているのだろうか、などと時々思うのだ。
「べっかんこおに」中軽井沢の公演終わり。次回は銀座、ギャラリー檜での公演。9月21日 18時から 李容旭氏の映像個展の中の一部として上演します。
狂ったような夏が去り、秋の気配漂って、コオロギの声も聞こえるけれど、いつの間にやら、気候は激変して、秋に虫が鳴くなんてのは昔話、なんて時代が来るのかもしれない。梅雨時にでんでん虫が歩いてる、などと言う光景は今や見ることすらできなくなった。不思議なことだが、東京にでんでん虫の姿が見えなくなった、などということを、誰も何も問題にしないが、本当は大きなドカンの前触れであった、なんてことがなければよいけれど。まあ、秋に虫の声がしなくなっても、人間はきっと、別に何が困るわけでもないので、気にもしないのだろう。夏にセミが鳴かなくなり、スズメも姿を消し、地上には人間だけになっても、やっぱり相変わらず、資本主義はくるくる回って、狂騒しているのだろうか。
以前SFで、地球から人間がいなくなり、草だけの世界になったというのを読んだことがある。タイトルは忘れたが、又読んでみようかなどと思う。近頃の異常な天候。天変地異なんてことの前触れ、などと言うことでもないだろうけれど、人間が自然と向き合う姿勢を、なにか根本的に考えなければいけない時期に来ているのかもしれない。

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