どんな人にお芝居を見てもらいたいのか。 などと聞かれることがある。まあ、 サルの前でやるのもなんなので、人間であれば・・ などと思ったりするが、 普通に生活をしている人になどと応えたりする。その昔、 蜷川幸雄さんと芝居をやっていた頃、 そんな表現じゃ生活者の目に耐えられないぞ! などと罵倒されたりした。一般の生活とはかけ離れた、 演劇青少年などというのを嫌った、蜷川さんは、私たちに、 ゴールデン街に行って演劇論交わして飲んだくれている奴は一番く だらないなどといって、酒など飲む暇があったら、 勉強しろなどと言われたものだった。
まあ、そういう影響からだろう、演劇人という言葉が嫌いだ。 自分は演劇どっぷりで、普通とはかけ離れた生活感覚のくせに、 演劇を生真面目に考えてるような人と会うと、 どうにも気恥ずかしいというか・・・。 生活者の目ってなんだろう、などと考える。 庶民という言葉が近頃しっくりこない。私が子供の頃は、 近所に大学に行っている人がいると、その人は、 将来偉くなるのだから、などと尊敬と憧れの目で見られたもので、 その本人も毅然としていたように思う。近頃では、 大学に行かない人のほうが少ないような気さえする。 普通というのが何を指すのかわからない。
インテリなどと言われる人も、もちろんいるが、 かつてのような輝きと栄光のような、その特殊な感じは消えた。・ ・・さて、芝居だ。ちょっと夕方時間ができたので、 ぶらっと芝居見に行く、という習慣が日本にはない。 その昔は夕方時間ができるとぶらっと映画を見に行く、 などという習慣があったが今は、映画さえも、 ぶらっとと言う感じではなくなった。
芝居に対する教養というか、そういうものが、 江戸や明治の時代の人たちより希薄なのは、まあ、 いろいろと原因があるのだけれど・・それにしても芝居を観ない。 近所の人は三軒茶屋に二つも芝居をやる劇場があるのを知らない人 さえいる。となると、 普通に生活している人たちに向けた芝居など成立しないと考えたく もなるのだけれど、 演劇人に特化したような芝居を見るとげんなりするのだ。で、 わかりやすい、まあ、 人を馬鹿にしたような芝居が好きかと言えば、 これはこれでどうにも閉口してしまう。厄介なのである。
どんな人に・・・と聞かれて、やっぱりサルだと、 じっとしていられないと思うので、やっぱり人間であれば・・ と応えるしかないのかもしれない。
さてさて、今回の芝居。 なんだかとてもいい芝居のような気がしています。 12月27日には「べっかんこおに」もやります。 南谷朝子さん坂田純子さん。 松坂と私でまた違った世界を創ろうと稽古しております。 ぶらっと芝居を観に出かけてくれるとうれしいのですが・・・・。
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