春になると

 3月終われば、新学期となって、子供たちは学年が上になる。息子は二人とも成長し、勉強にも意欲的になっている。
「ゆらゆらと 薄桃色の八重桜 初々しさと 共に散りゆく」 上の息子の短歌だ。短歌をやっている妻が感心し「お前は歌人か詩人になりなさい」などと言ったが。
「あ、でも歌人も詩人も絶対食えないのでまず就職し、そのためには・・なんのかんの・・」と虚実入り混じって混乱。息子は苦笑いなのだった。
中2の息子の中学の参観日に行ってきたが、ほとんど見ていられない。同じ中学で、ほとんど暴れまわって、荒れ狂うような中学生活が思い起こされて、なんだか申し訳なくなって、居たたまれなくなる。なんであんなことになってしまったのか・・・今思い返しても不思議な気がする。あの時代に蓋をしないというのが、まあ、ものを書いたりするのであれば腹をくくるしかないのかもしれない。もしかして書いても信じられないような出来事が続いたのだ。春になると思い出す。私の将来はよくてヤクザ。犯罪者になるのも時間の問題と烙印を押されていた。
集団的行動がまったく出来なかった。簡単に言えば、集団をまとめあげるとういう行為が出来る人間と、まったく馬があわないのである。 浮いてしまう。まあ、そういう人間が社会に出て上手くいくわけもないのであるけれど。で、二人の、いや、もう一人。三人の息子はまったく上手く集団生活が出来るのだ。社会に適応している。
春になると、そんな学校でのあれこれが思い浮かぶのだ。それにしても、演劇などというものがあってよかった。などと思うのだ。出会いも恵まれていた。私と同僚の仲間たちは皆一流の大学出。学生運動などの影響で、就職しない人間がざらにいて、だからといってそのことに引け目を感じたりしていなかったという風潮だったからだろう。
春になると、桜咲いて、ちょっとセンチメンタルな気持ちになる。そうだ「ララ・ランド」という映画がセンチメンタルないい映画だった。ミュージカルはいいねえ。外国人の足の長さが目について、踊るのはやっぱり足が長くないとなんて思ったりしてね。今日観た「チア・ダン・・」というのもよかったなあ。知ってる監督の作品だが、春らしい。女の子の映画。観にいったら、周りは中学生と高校生の女の子ばかり。ポップコーンの匂いに囲まれて映画を見るのも・・・なんだか、などと思わないで。春ですから。女の子の映画もいいですよ。中年と老年ばかりが出てくる映画もあるけれど、なんていったらいいか、俺も老年で言うのもなんだけど・・・春じゃあないというかね。
春です。新しい出会いや。新しいことのはじめまりの季節。自分の中で新しいことを始めたいと今日も思っているのです。

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