さびしがり屋の孤独癖

テレビでだれかがさびしがり屋の孤独癖のようなことを言っていた。私が全くそうで、さびしがり屋のくせに、孤独癖がある。これはたちが悪いというか。人には理解できないようなところがあるのではないだろうか。
子供の頃、通信簿にいつも書かれていたのが、協調性のなさ、団体行動ができないということだった。集団で何かやることが苦手だった。運動会や学芸会やそういう行事は大好きだったくせに、時折一人になりたくなるというか・・で楽しんでいないかと言うと、充分すぎるほど楽しんでいる。友達付き合いも広かったが、皆で協力して何かやるというのが苦手だったような気がする。そういうこと、つまり集団で何かを進めていくなどと言うときに、物凄い能力を発揮する奴がいて。
二人でいるときとは別な人間なんじゃないかなどと思ったことがある。こういうやつが政治家なんかになるんじゃないだろうか・・二人でいる時とは、まったく別な顔を見せ、全体の問題と、二人だけの個人的な問題とは分けて考える能力と言うか、何だこいつ、言ってることが違うじゃないか、などと集団の中にいる時の友達を見て、思ったことがあった。「お前違うだろう!」などと言って、その場で孤立するのが、まあ、私で、集団の建前のようなものをひっくりかえしたくなってしまうのだ。などと言うと格好いいが、要するに、融通が利かないというか。で、さびしがり屋の孤独癖である。打ち上げなどで、ガヤガヤやっている再中に一人になりたくなる。じゃあ、打ち上げなど行かなきゃいいじゃないかと思えば簡単だが、人恋しいのは人一倍で、賑やかなのは好きなのである。ところがそれが続かない。ようするに、我儘なのかもしれない。年とともに、地金がでてきて、飲んでいてもすぐに帰りたくなる。いいところ1時間なのである。何をそんなにしゃべることがあるのかと、不思議に思ったりする。しゃべらないで黙って人の話をなどとも思うが、飲んだりしていると、黙って聞いてられるような話なんてめったにないような・・・・でもまあ、本当は、グダグダくだらない話をしている時間こそが、楽しいのもよくわかる。自分でも、やっかいな人間だと思う。妻などは、たいして親しくもない人間と5時間でも、6時間でも、酒も飲まずに楽しんでいるようで、何の話だったのと聞けば1分で終わるような話だったりする。まあ、その人間関係を楽しんでいらっしゃったのでしょう。よく、意志が強いね、などと言われることがある。タバコをやめたり、酒をやめたり、一人芝居なども、一人で稽古場で5時間でも、6時間でも稽古する。感心されるが、実はそんなことは簡単なことだと思う。自分さえやればよいのである。辞めればいいし、稽古もやればいい。単純である。考えることは一つだ。ところが、人間関係は違う。タバコやめたり、酒やめたりのようにはいかない、相手がいるのだ。簡単にはやめられない。
井上揚水がなにかで、コンサートは大変でしょうと聞かれて「いや、自分さえ盛り上がればいいから、普段の生活より楽だ」みたいなことを言っていた。人との関係は、自分さえ盛り上がればいいというわけにはいかない。自分だけ盛り上がってれば、気違いざたなのである。
さて、次回公演の準備が進んでいる。「ジュールさんとの白い一日」というベルギーの作家の小説をもとにと考えている。夫の突然の死を受け入れられない妻とそこに訪ねてくる、自閉症の男の話だ。自閉症と突然死の問題が描かれている。自閉症は人との普通の交流ができない先天的な障害ということになっている。様々な国の言葉に翻訳されドイツではベストセラーになっている。「べっかんこおに」と同じように、私の芝居を見に来たお客さんからいただいた本だが、本棚に5年ほど入れたままだった。今、やれる時が来たのかもしれない。話題の作品になると思うので、力を入れているところです。

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