気配

その昔、蜷川幸雄さんのところで芝居をやっていたころ、たしか沢田研二さん主役の「唐十郎版・滝の白糸」のときのこと。   蜷川さんに、「お前たちは気配をやれ」と言われたことがあった。いるような、いないような。気配なのである。これは難しい。そのとき出ていた、伊藤雄之助さんに、本番中。そこだと、照明が当たらないよ。と言われたことがあった。こっちは気配なのである。照明当たらないのも。本望なのである。伊藤さんはそんなことはわからない。役者はめだってなんぼの世界なのだ。
まあ、そんな修行をしていたせいか、芝居というものは、役割があって、実のところは、世界は主役だけでできているわけではなく。気配までをも含めて、すべてが本当は対等なのだということを叩き込まれた。
そのためか、ガヤとかその他大勢をやっているという卑屈な気持ちを持たないで、演劇の出発点に立てたような気がする。今でもそういう気持ちは強く。私の芝居は全員で作る傾向が強い。
一人が主役という芝居は少ない気がする。一人芝居でも。気分的には世界観が主役なのである。
さて、我が家で、私は気配をやっている。主役ではない。この、気配役をきちんとこなせれば、父親役は合格なのではないかと近頃思う。いるような、いないような。そこが大事なのである。
妻がいない日。私は子供たちの食事を作る。食べる。食事終わり。さて、子供たちはテレビを見るなり、遊ぶなり、寝るまでの時間を過ごす。私は黙ってビールでも飲んで、音楽でも聞いて、気配は出している。
ということが大事で、けっして、自己を主張などしてはいけないのだ。時々、下の子が二櫂から「お父さん」と声がする。「おう」と応える。それで終わり。いることを、下の子は確かめただけなのである。
この一声のために。何時間も、ぼんやりしている、などということもある。子育てというのは、そんなものかもしれないと、近頃思う。この一言にちゃんと答えることこそが大事なのだ。ただそれだけだが、それが難しい。
余計なことも言いたくなるし、どこかに出かけたくなるというものだ。俺はここで、お前たちをなんとなく見ている。そんなことが、もしかしたら、子供にとっては大事なことなのかもしれないのだと、気づく。
この、なんとなくが難しい。父親だってさびしいのである。相手にもされたいし、感謝もされたい。妻からは無下にされ、子供からは気配では、たまったものではないので、時々爆発。なんてことにもなるのだが。
我慢なのである。なんてこと考えていた、最近。痛風の発作。歩くことができなくなった。長男に助けられ、病院に。夜遅くまで、付き合ってくれた。車いすまで押して「まあ、どうせ俺の介護するんだから練習だな」
そういうと「勘弁してよ」と笑った。下の子は私の布団で寝ていた。夜中にむくりとおきると「お父さん大丈夫」と寝言のように言った。大丈夫だよと言ったが、あれは夢だったのか。
気配もたまにはそうやって、自己主張してしまうこともあるのですがね。
6月に向かって進んでいます。べっかんこおには近所のレストラン。世田谷233、松陰神社のパブでやる予定。8月福島の喜多方、9月軽井沢での上演です。痛風、ようやくよくなりましたが。しばらくは禁酒。
家では気配の修行が続くのでした。

Follow me!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次