記憶の断片

不思議なことがある。思ってもいないことを、まざまざと思い出す瞬間があるのだ。
昨日、本番前に、下北沢の風呂屋に行った。少し時間があって、下北沢の町を自転車でぶらぶらする。
以前風呂屋で今は、古着などを売っている店の前を通る。一、二度行ったことのある風呂屋。その風呂屋の中、様子が急に鮮明に蘇る。太い柱と洋風の創りが印象的だった。番台に座っていたと思える、おばさん・・こんなことが時折ある。そこに強く思いがあったわけでもないのに、強烈に覚えていることがあるのだ。人の記憶というのはそういうものなのかもしれない。記憶しようと意識などしないわけで、頭のどこかに刻印されるというか。祖父や祖母のことも、つまらない、日常の断片を思い出す。祖父が死んだのは50年以上前なのに・・苦い顔でタバコ盆などいじっていた手つきまでが鮮明に蘇ったりする。と考えると、祖父はまだ生きているということにもなるのだ・・人の記憶がどのようなメカニズムか知らないが、時折不思議な気がする。
本番は真っ最中。賛否両論。「いい芝居だ!」という声で喜んでいると「何がなんだかわからない」「哲学なら本読んでたほうがいい」などという声が聞こえてくる。賛否が分かれるということは、本当はいい傾向だと私は思うのだが、否定されるのはいい気持ちでもないので・・そういう記憶は、きっと脳みそのどこにも残らないようになっているのかもしれない。生きていくのに都合よく、記憶というのは蓄積されていくのかもしれない。風呂屋の記憶もきっと、私にとっては、温かい,豊かな,一瞬だったのだろう。
さて後3日。全力で演じよう。今日は遠方から友人がやってきたりする。温かい、豊かな一瞬を出演者とスタッフ全員で創る、努力をしている。

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