主夫

子供の頃から考えて、自分で洗濯したり、食事を作ったりというようなことはなかった。掃除ももちろんしたこともない。
そんな生活が40年ほど続いて、40過ぎて離婚して、独りになって、食事を作るようになった。近所のコインランドリーで洗濯もした。
で、又再婚して、子供が二人できて、60過ぎて、今はほとんど主夫といってもいい。朝の食事、夕方になれば子供たちの食事のことが気にかかる。
もともと料理が好きなので、苦にならない、というかそのことが楽しみになる。妻がなにをやっても不器用というか、たいしたことができないのでと言うこともあるのだが。
家のことなど、やれる体制にあるほうがやればいいのである。家での仕事が多くなると、洗濯機回したり、服を干したりなんてことが気休めになる。まあこれが義務になるとつらいのだろうがね。
そうなのだ、家事は義務になってはいけないのかもしれない。やりたい人、あるいはやれる人がやる。やりたくないときはやらない。これが肝心のような気がする。
多くの場合、特に主婦といわれる人は、一年中義務のように食事を作り、洗濯をし、掃除をするということになってしまうのかもしれない。夫が働いているのだから当たり前。となる。
夫が疲れて帰ってきて、食事も作ってない、掃除もしてないでは、これはやりきれないのかもしれないが、女だって何もしたくなくなって、日がな一日映画でも見て、ごろんとしてのんべんだらりと過ごしたくなることだってあるだろう。と書けばやけに物分りのいい理想の男のようだが、そうは簡単ではない。何もやってなければ腹も立つ。私の場合、今や食事を作るなんてことは、趣味のようなもので、出来る限りやりたいのだ。そうなればしめたものなのかもしれない。女たちは、男に料理の楽しみと、洗濯干す気持ちのよさをさりげなく伝え、誘導して、などとそうはうまくはいかないか。家に居がちな私のような男はそんなにはいないからね。というわけで、今日も買い物。スーパーの買出しも実は密かに楽しみとなる。妻の買うものと私の買うものは、不思議と重複しないで別れている、例えばラップは妻でトイレットペーパーは私とかね。主夫を宣言したのはその昔はジョンレノンだったか。憧れていた男が赤ん坊の子育て専門となった。かっこいいではないかとそのとき思い。私のいずれは、なんてちらっと思って、だから今なのかもしれない。ジョンレノンは子育てが終わりを告げて、殺されてしまった。私も老年の子育てなので、それほど長い間子供と付き合えないかもしれない、などと時々は思い、子供の食事を作る。今日は朝から魚の鍋。朝食は完食。午前中の時間は充実と安心するのだ。この朝主夫として合格なのである。

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