稽古の日々

朝から近所の神社に行く。そこでセリフを覚える。一人芝居も神社の社務所を借りて稽古した。芝居というか演じるものは、なにか神にささげるという気分があって、足が神社に向かう。
元々演劇の起源は祈り、不確かなものに対する慄きのようなことが始まりであるという気もする。だからというわけでもないだろうが、神社に行く。幸い広い誰もいない神社が近所にあって、声をいくら出しても誰が何を言うわけでもない。たまたま今やっている芝居のセリフの一説を朗誦していたら、通りかかったおっさんが拍手をした。私は笑って「どうも・・」と言った。
ここ一月。毎日のようにセリフを言うことになっている。テレビや芝居、一人芝居に学校の卒業公演。毎日違うセリフを言う。あとどれくらい、セリフを言う生活というのが続くのかわからない。という年齢になった。もしかしたら最後の芝居かもしれない。などと考えたっておかしくない年齢なのだ。祖父は脳溢血で七十前に死んでいる。死ぬ瞬間まで麻雀をやっていておおいびきをかいて死んだ。箱の点数はプラスマイナス0だったと。後で母がおかしそうに言った。そういう死にかたもあるのだ。と考えると、人間みなそうだといえなくもないが、確率が高くなったというかね・・・・。道学先生という劇団に参加して稽古をしている。私が最高齢。どこに行っても若手だったのに、いつの間にか最高齢。だからといって模範のなにかを見せられるわけでもないのが、残念な気がしないでもない。役どころが屈託を抱えた、諦めきれないじじいである。俺のことか・・・などと思うと辛いが、実は楽しんでやっているのだ。
中三の息子が修学旅行に行く。京都、奈良は昔と変わらないが、服装は自由。普段着。観にいく場所も選べるらしい。世の中は変わっていく。まあ、中学の息子がいるのでそんな情報もわかるのだけれどね。京都の神社で稽古をしたいなどとふと思ったりする。金閣寺でべっかんこおにを。とかね。
さて、6月7日~18日まで。赤坂レッドシアターにて劇団道学先生の「梶山太郎氏の憂鬱と微笑」が開演します。ぜひ足をお運びくださいませ。

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