終わりの始まり

笑う犬、公演終了した。様々な反響があった。ベテランの役者たちが、踏ん張ってくれた。若い役者もやるべきことを、きっちりこなしたと思っている。女優たちもそれぞれに、時分の花を咲かせてくれたと思っている。終わって、次の日に、茨城でロケ。朝、ワンシーン撮って、中空き。楽屋で、次回の公演のせりふを覚える。10月公演のイメージを考える。公演中、舞台で、交わした言葉「なんだか、こうやっていると、裸になって、うろうろしたくなるような気分になる。劇団全裸なんてのはどう?」私が言うと、女優さんが笑って「劇団真っ裸というのはどう?」などと混ぜ返す。・・ふと考える。次は何かと。様々な劇作家の作品を連続上演しようと思ったりしている。清水邦夫、別役実、小松幹生、福田善行 縁のあった作家たちだ。作品と俳優の演技に焦点を絞ろう、そう思っている。人間の関係に絞って、他のものを、排する。演劇芸術は総合だ。美しい照明、壮大な美術、壮麗な衣装、様々な小道具、音響効果、その全てがかみ合って、演劇が出来る、ということを、よく知っていて、否定はしない。登場人物の持物、その細部、財布の中身までが重要だ、という考えも、よく解って、理解するが、その全てをやめて、人間の言葉のやり取り、関係に絞って、提出してみよう、と考えている。そのことが、むしろ小劇場には相応しいのではないかとも思うのだ。
ひとつ終わって、次が始まる。作家たちの息遣い、俳優の精神、舞台の上のありかた、そのことにこだわって、次だ。やることは限られている。清水邦夫「朝に死す」小松幹生「雨降りしきる」別役実「マザーマザーマザー」清水邦夫「あの愛の一群たち」
作品は限りなくある。赤石武生とやってきた、レクラム舎の様々な試みをもう一度検証して、実践し、問いかけようと思っている。真っ裸な舞台で、ストレートを投げようと思うのだ。

Follow me!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次